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縁 -えにし-

(出典:書き下ろし)

myoshin1102a.jpg  昨年、住民票に記載されている百歳以上の方が、三百数十人も行方不明になっている事が大きな話題になりました。都会では、アパートやマンションや路傍で、独りで亡くなって永らく誰にも気付かれなかった方も多いと聞きます。また、ここ数年来、子供の虐待事件が毎日のように新聞やテレビで報道されます。痛ましいことです。勿論、それぞれにそれぞれの事情や原因があるのでしょうが、共通して言える事は「無関心」という事ではないでしょうか。
 お隣の老人が行方不明、独り暮らしの人の顔も知らない、近所の子供の泣き声はただうるさいだけ。そんな無関心な私たちがこのような社会を生み出したのではないでしょうか。無関心は人と人が関係無いとおもう事からきています。しかし、私たちの周りに無関係な人がいるでしょうか。
 近年、個人主義といいますか、「自分は自分、他人は他人。たとえ家族といえども他人の始まり。まして近所の人たちは勿論、知らない人などとはなるべく関わらない」、そんな考え方が新しいし正しいといわれてきました。お互いに迷惑を掛けないし、掛けられないようにしなければならない。そのためにはなるべく「他人」と関係を持たない。お互いに無関心で過ごす事が正しいとされてきたように思います。
 しかし、そうでしょうか。私たちは独りで生まれてきたのではありません。今まで独りで過ごしてきたのでもありません。多くの人たちとの関係で生まれ、そして過ごしてきたのです。その関係を「縁-えにし-」と言います。縁は自分に都合の良いことばかりではありません。迷惑な事もあるでしょう。また、迷惑を掛ける事もあります。
 「私は人に迷惑を掛けていない」と言う人がいますが、人に助けてもらわずお世話にもならない人はいません。自分独りの力だけでなく、多くの人たちのお力を頂いて生きている事に気付かなくてはなりません。「人の助けは要らない、世話にはならない」ではなく、助けて頂ける、お世話を頂ける関係、「縁」の大切さを今一度お互いに見直さなければいけない時です。
 「袖振れあうも他生の縁」という言葉があります。お互いの着物の袖が触れ合う、そんな小さな事にも「他生の縁」がある。今、この場に、この時に生きている私たちには知ることもできない深い縁があると言う事です。その縁が結ぶ絆こそが、私たちを守ってくれている事を忘れないで生きましょう。

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