感謝の念
(出典:書き下ろし)
現在の公立小・中学校では、一切の宗教教育はなされておりません。小学校の給食の時間には合掌して「いただきます」とは形式的には言いますが、それで終わりのようです。
一歩突っ込んで、食事五観の偈の第一”功の多少を計り、彼の来処を量る”―食事を作ってくれた人と神仏に感謝する―この一つでも教えてもらえないものでしょうか。私の地域では中学校も給食はありますが、小学校のように一斉に合掌もなく、ばらばらに食事をとっています。
合掌・礼拝・感謝の念を教えることが、宗教教育になるでしょうか。皆様方はどう思われますでしょうか。学校で教えられない事は、是非とも家庭で教えていただきたいと思います。
私のごく親しい家庭では、代々食事の前には「いただきます。ありがとうございます」と幼い時から躾られています。そちらの子どもさんは三人とも羨ましいぐらい立派に成長されていますし、お父さんの弟・妹さん四人もそれぞれに立派な方ばかりです。お土産物などを持って行っても、必ず仏壇にお供えしてから夕方におさげして戴かれます。お孫さんがすぐ食べたくても、犬ではありませんが、「おあずけ」のかわりにお供えして来なさいといわれます。走ってお供えして、チンと磬を一つたたいて、すぐに持って来ます。微笑ましい光景です。
最近、テレビや新聞では、いじめ・虐待・詐欺の報道が毎日のように伝えられます。私は、食事の作法、神仏の加護が、しっかり教えられていない日本の現状の顕れではなかろうかと思っております。
先祖代々に感謝、父母に感謝の念を養うことは、子育てに一番大切なことではないでしょうか。
白隠禅師坐禅和讃にある、”衆生本来仏なり”。子どもは無邪気、無欲で生まれて来ます。全く仏として生まれて来ます。だんだんと大人から悪知恵を伝授されて成長していきます。そうならないように、すべての大人の責任で大切に育てて行く為には、宗教心(仏心)が一番大切だと思っています。
私は五年前咽頭癌のため、言葉を失った者ですが、それ以来特に本日述べましたことが気になる毎日です。
毎朝、拙寺の門前で十五人の小学生が集合して学校へ行きます。声はかけられませんが手を振って集団登校を見送ります。午後も下校時刻には笑顔で迎えてやるのが日課の一つです。子供達は喋る事のできない私にいろいろと話しかけてくれます。
ありがたい毎日です。子供達に感謝しながら……。