調える
(出典:書き下ろし)
ことしの六月にわたしの住む岐阜県で全国豊かな海づくり大会が開催されました。岐阜県は海がありません。しかし、海を豊かにするためには河川の浄化が不可欠ですし、そのためには山林の手入れが大切です。
世界をあげて今や自然環境の保全が急務となっていますが、しかし、自然は元来調っていたはずです。自然のバランスが保たれていたからこそわたしたち人類が共存できたのです。
その自然を破壊しているのが人間であるとするならば、自然環境を調えていくのは当然のことです。
と同時に、そのためにはまず自己を調えることが大切です。自分の生き方、あり方をしっかりと見つめ、調えてこそ自他共に調えられるのです。
妙心寺派の生活信条に「一日一度は静かに坐って、からだと呼吸と心を調えましょう」とありますが、からだを調えるためには暴飲暴食を避け、睡眠を充分に取り、適当な運動を継続することが必要です。
呼吸を調えることは全てを調えることであり、呼吸は健康のバロメーターです。「数息観(すそくかん)」という呼吸法は、息をはく時に心の中で数をかぞえる方法です。はき切ってこそ新しい息が自然に入り込み、気持ちもスッキリするのです。これは坐禅の呼吸法ですが、禅のこころは自分を調えることです。
からだと呼吸が調わなければ心も調わず、また心配ごとや考えごとがありすぎて心が不安定であれば、からだや呼吸はなかなか調いません。慌ただしさから呼吸が乱れていれば、からだや心を調える余裕も持ちにくいでしょう。ですから「からだと呼吸と心」の三つは決して別々ではなく一つにならなくてはなりません。
人と人とのつながりも自分のことも、一つに調えることが大事なことであり、調えることによって多くのつながりを感じることができるかと思います。
坐禅の心とは、内と外を正しく見つめることです。内とは自分の内面を見つめることであり、外は社会の一員として自分があるという自覚をもつことです。決して私たちは個々にのみ生きているのではなく、孤独ではありません。自ら切り開いていく柔軟な対応によって自分を活かすことができるのです。柔軟な心で自分を正しく見つめ「随処に主となる」という気持ちで社会の一員として自信をもつことが、かけがえのない人生を送ることとなるでしょう。