人生のいい風
(出典:書き下ろし)
今年の夏は殊のほか暑く、うだるような日が続きました。それでも朝夕は心地よい秋風が肌を通り過ぎるようになりました。
ある修行僧が雲門禅師に「樹凋み葉落つる時如何」と問います。雲門禅師は「体露金風」と答えます(『碧巌録』より)。
秋になり、樹は凋み、落葉して、いかにも寂しく感じます。これをどのように受け止めればいいのでしょうか。思えば、まるで私たちの人生のようでもあります。老いを迎えて寂しさを感じておられる方も多いことと思います。
雲門禅師は「体露金風」と教えます。体露とはありのままに露出されている。金風は秋風。年老いて若くなりたいと望んでも、所詮無理なことで、そのまま今の現実を受け止めて「いま、ここ」を大切に、丁寧に生き抜くことしかないのであります。
“長い人生を一生懸命に生きてきた”という大きな財産を持って生きておられるお年寄りには、若いものにはない輝きがあり、人生の師としての風格があります。たとえ、樹は凋み葉は落ちようとも天に向かいスクーッと立ち、後から来る者たちを見守る力強さを感じます。
私たち人間にも言葉では表現できない何とも言えない、まるで風のようにサーッと吹き、清涼感を与えてくれる人がいます。それは決して話す言葉ではない、そこに言葉はなく、ただ黙ってそばに居てくれるだけで安らぎを与える人であります。
話す言葉は人をごまかすことができます。自分が自分で自分をごまかすこともありますが、この滲み出る全身から溢れ出る風格だけはごまかしがきかないのです。
よく言います。「あの人は上手な年のとり方をしている」、「あの人のそばにいるだけで落ち着く」。どの方も、いい風を吹かせています。
わたしたちも、このいい風を吹かせて人々に爽快にさせてあげられるように人生の時間を使いたいものです。