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私の彼岸は、何処に有る

(出典:書き下ろし)

myoshin1009b.jpg 平成7年1月17日に起きた阪神・淡路大震災。時が過ぎる程、私達の記憶が薄らいでしまう昨今であります。その薄らいでいく事を喜ぶべきか、悲しむべきかは、それぞれの人の心の中であります。
 地震が起きた直後、某老師様は付き人をつれて被災地へ向かわれました。その姿は、作務着に地下足袋、背中にリュックサック、そのリュックの中には乾パン、菓子パン、水などでした。京都から線路や枯れ木、コンクリートの破片が氾濫する道を歩き続けました。その途中、疲れと空腹で付き人が「お腹もすいた事でしょうから少し休みませんか」と言ったところ、老師は「被災地の人が今どんななのか……和つぁい達のお腹を満たす物があるのなら、まずその方々に差し上げるべきなのに…。お前さんは何を言うのだ! 私達は一日や二日食さなくても死にはしない」と厳しい口調でおっしゃったそうです。
 その状況の中での老師様の御言葉。それは、人が人としてあるべき姿、また人はそうでなければならないという教えではないでしょうか。これこそが「利他の行」であり、行ないの中に自分自身が生かされている事を御自分の行ないを通して示されたのではないでしょうか。
 “私達の彼岸”とは、何処にあるのでしょう……。ついつい私達は“彼の岸”に安楽を求めてしまいます。そうではなく自分の足元にある事にまず気付くべきではないでしょうか。そして行える事があるならば、それを実践すべきでしょう。
 なぜならば、お釈迦様が「私もあなたも仏様ですよ」と教えて下さっているからです。

 あなたは、あなた自身に合掌ができますか……。 合掌

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