法話

フリーワード検索

アーカイブ

五戒

(出典:書き下ろし)


 お釈迦さんの説かれた「仏遺教経」の中に、この様に記述しているところがます。「汝等比丘、我が滅後において、当に波羅提木叉(はらだいもくしゃ)を、尊重し、珍敬(ちんきょう)すべし。暗に明に遇い、貧人の寶を得るが如し。当に知るべし此れは汝等が大師なり」。
 波羅提木叉とは戒律の戒であります。戒は他から強制される掟ではなくて、己の心の内から、そうせずにはおれないと考える、求道者の摺り上げた、究極の掟であります。
 それに対して、律とは集団或いは組織の規律を守る為、他律的に強制される掟であります。現代的に申せば、律が法律と考えると、戒は良心、或いは仏心を保つ為の内心の(たが)であると言えます。内心のことは他人に窺い知れないので、外目に装うこともできます。ここにどうしても宗教心の必要性が出て参ります。誰の心にも元来、仏心と邪心を両方持ち合わせております。これをお釈迦さんは、人は皆心の中に一匹の毒蛇を飼っていると表現されています。
 日本でも室町時代の古歌に、「傀儡師(かいらいし)首にかけたる人形箱仏を出そうと鬼を出そうと」とあります。どちらを出すかは、胸先三寸ですので、誰にでも凶暴な事件に繋がる要素は持っているという訳です。無宗教者と宣言する人がありますが、自分はブレーキの無い自動車のドライバーだと宣言しているようなものです。
 「戒」は人の道を歩く為の履物と言い換えることができます。その初歩の教えは「1.不殺生戒、2.不偸(ふちゅう)盗戒(とうかい)3.不邪淫戒、4.不妄語戒、5.不飲酒戒」であり、これを「五戒」ともうしております。出家得度する時に、師匠から授けられ、今日からお釈迦さんの弟子になるのだから、これを心して生活しなさいと諭されるわけです。何故か、日本では5番目が特に緩々ですが。“ごかい”無きように。

Back to list