赤心片片
(出典:書き下ろし)
到来の赤福もちや伊勢の春 子規
平成25年の式年遷宮に向けての準備が進む伊勢神宮ですが、百年前伊勢参りができなかった子規は、到来の「赤福」を前にしてその喜びをこう詠みました。しかし、先年、「赤福」をはじめ老舗暖簾など食の安全に関する問題が多発し、創業時の精神がどこも大きく揺らぎました。こうした一連の問題が表面化したとき私は中国唐の太宗が「創業と守成といづれが難き」と訊ねた話を思い起しました。
唐の太宗はあるとき二人の側近の者に、「国家の大業を始めるのと、既にでき上がった帝業を堅実に守って失わぬようにするのとではどちらが難しいと思うか」と訊ねました。そのとき玄齢という側近は、「天下がまだ定まらないときは、多くの英雄が互いに力を比べ争い勝ったほうが負けた者を臣下とするから、創業のほうが難しいと思います」と答えました。しかし、魏徴という側近は、「昔から、どの帝王でも、天下を艱難の中から得て、安楽無事のときに失う者が多くいるから、守成のほうが難しいと思います」と答えました。二人の意見を聞いて太宗の答えはそのときこういいました。「玄齢はわたしと一緒に力をあわせて天下を取った。幾度も危険なめにあいながらやっと生きのびてきた。だから、創業の難しいことを知っている。そして、魏徴はわたしと一緒に天下を治めてきた。常に、驕奢は富貴から生じ、世の乱れは物事をなおざりにすることから生じるということを恐れている。だから守成の難しいことを知っている。しかし、創業の困難はもうすでに過ぎ去った。守成の難しさはこれからの問題であるからみんなと心して戒めていこう」。
この話は何も天下国家の話だけではないということはお分かりだと思います。ことを創める難しさもさることながらその老舗の暖簾を永く守り商いを成していくことがいかに難しいか、ということを唐の太宗のこの話は私たちに教えてくれています。
禅の言葉に「赤心片片」という言葉があります。これは相手に誠心誠意真心を尽くすというような意味ですが「赤心」とはいわば赤ちゃんのような純粋無垢な心をいいます。このことは例えば「聖書」にも「赤子のような心でなければ神のもとに召されない」とあります。
「赤福」の創業は宝永4年(1707)という古い歴史があります。創業者の治兵衛さんは宇治橋のたもとで五十鈴川のせせらぎの波と川底の白い小石を模して餡子餅を参拝者へのご接待としました。そして、赤子のような無垢で嘘偽りのない真心でもって家族やひとさまの幸せを喜ぶという意味の「赤心慶福」という言葉からその餅を「赤福」と命名したのでした。
誰もがあった赤ちゃんのときの心を人は忘れ去ります。いつの世でも一番先に忘れてしまう心がこの「赤心」ではないでしょうか。実は、禅の心はこの「赤心」に立ち返ることで、坐禅はその手段ともいえます。
旅は春 赤福餅の 門に立つ 虚子