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何気ない挨拶から……

(出典:書き下ろし)

 昨年十二月に佐賀県のお寺で「成道会」の法要に招かれて行って参りました。
 佐賀県には沢山の寺院がありますし、またご縁をいただいた寺院も数多くあります。日程的な都合もありましたが、折角でしたので
今回伺うお寺の他に別のお寺も御参りさせていただくことにしました。
 十二月にしては暖かく、お寺までそれ程遠くはなかったので初めて訪れる土地でしたが地図を片手に歩いて行くことにしました。
 国道を渡り、運動公園の入り口付近から小さな川に沿ってサイクリングコースに突き当たります。その道をしばらく歩くと、駅に降り立ったときとは違う、自然豊かで懐かしさを感じるような景色へと移り変わります。それから更に歩いてお寺までもう少しのところで、前から赤いランドセルに黄色の帽子を被った女の子が一人で歩いてきました。
 ここに来るまでの数十分間、車の往来はありましたが、歩いてくる人に出会ったのは、この女の子が初めてでした。するとすれ違い様に「こんにちは」と大きな声で挨拶をしてくれました。
 そして、今度は小学一、二年生でしょう、数名の男の子たちの姿がみえました。ニコニコと笑顔で「こんにちは!」と、やはり元気に挨拶をしてくれました。
 正直、驚きました。それと同時にとても嬉しい気持ちと清々しい気持にもなりました。
近頃では、「知らない人に声をかけられた」と予想もしない展開になることもあります。私の近辺をみても子供たちから挨拶をしてくる場面が非常に少なくなってしまったように感じます。
 本来、「挨拶」は仏教語であり、もとは禅宗のお坊さんたちの間で師が修行者の悟りを試すための問答に用いられたものです。「挨」は開く、「拶」は触れ合うの意味があり、お互いの心を開きあい触れ合うところに意味があります。
そして、「挨拶」は日常生活の些細な部分でもあり、あたりまえのことかもしれませんが、「こんにちは」というたった一言で、人を笑顔にさせ、温かい気持ちと触れ合うこともできます。

「人々悉く道器なり」 ―伝光録―

 瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)の言葉です。「人は誰でも日常の生活の中に-人としての尊さ-を実践する力を備えている」ということです。
 あの時出逢った小学生たちの一言の挨拶によって、根本にある大切なものを改めて見つめなおすことができたと思います。

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