法話

フリーワード検索

アーカイブ

受け入れること

(出典:書き下ろし)

 あるお寺の住職さんの話です。小さい時から厳格な禅僧であった父親が今、認知症によるだらしない様子を見せていてとても辛い。しかし、介護を続ける日々から少しずつそのことを受け容れられるようになってきた。そして、変わった父親の姿を見て「お父さん、ありがとう」と心から言えるようになったそうです。
 父として、禅僧として尊敬していただけに、その変わってしまった姿を受け容れられなかった気持ちがよく分かります。
 私達の日常でも、このように、受け容れ難い事が起きる事があります。その時に一時的であれ怒る事、つい、愚痴をこぼす事があるのも事実です。問題はさらに、そのことを背負いこむことにより、悩み・苦しまなければならなくなることです。その原因は「自分の思い」です。私達は物事を、自分に利があるように考え、そのことに期待を寄せる、という一面を持っています。「思い通りにならない」「気に入らない」などの思いはその現れなのです。
 仏の智慧は、この世の中のあらゆる出来事をそのまま受け入れ、それを活かしていく生き方を示します。しかし、簡単にはいかないのが現実です。「こうあるべき」のために「もっと頑張らねば」ということになる。私達のこだわりは、厄介なものなのです。
 私達の周りでは、生まれること、死ぬことをはじめ、自分の力の及ばないことが沢山あります。自分が何とかしたと思っていることさえ、周りや他からの働きかけによるものなのです。これを「仏の御いのち」ともいいます。そのおおいなる働きに全てを任せた時に、受け容れの態度が生まれるのです。
 先の住職さんも、日々の介護生活から、そのことに気付いたからこそ、認知症の父親を受け容れ、その姿に感謝する事ができたのでしょう。

Back to list