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差を取る

(出典:書き下ろし)

 夏至も過ぎ、暑さが厳しさを増してきております。皆様のご家庭では、エアコンの設定温度を何度にされていますか?
 私は子供時代、贅沢にも夏の日中に暑さを遮断したくて、エアコンの設定温度を一番低い16度にして過ごし、両親によく叱られたのを覚えています。人間は、外気との温度差が5度以内でなければ体が順応しにくいのだそうです。そのため、エアコンの効いた部屋から外に出ると、体がだるくなりました。また、風邪をひいたり、頻繁に体調を崩したりしていました。
 さて、妙心寺の前管長・西片義保老師は、「さとる」ということは、「差を取る」ことだと、お話されました。
 修行時代は、まさに「差」のない生活でした。エアコンなどはもちろんありません。体調を崩すことなどほとんどありませんでした。身分の差、学歴の差もありません。また、行事の節目、節目にお茶を飲む「茶礼(されい)」という儀式がありました。1つの釜から入れたお茶を、一斉に飲みます。同じ熱さ、同じ苦さのお茶を飲む者に、心の差は感じられませんでした。食事も同じです。食事を作る典座(てんぞ)という係が必ず順番に回ってきます。だからこそ、作る者の気持ち、食べる者の気持ちがよく理解できました。仲たがいをしているような修行仲間同士でも、時が経つにつれ、掛け替えのない存在になったものでした。こだわらず、とらわれず、なすがままに、自然の流れに身を置くことによって、「差を取る」生活をすることができました。
 しかしながら、今は、何でも便利な時代です。「差をとる」どころか、人工的に差を作り出しています。エアコンのスイッチを入れれば、すぐに猛暑が冷気で快適になります。食事は、外食産業や、コンビニエンスストアの発展によって、手間暇をかけなくとも、すぐに出来上がった物を手軽に取ることができます。食材は、世界中から輸入され、日本の季節とは正反対の季節の物が店頭に並ぶことすらあります。家庭内でも個々が、自分の好きな時間に、好きな物を食することができるようになりました。そのため、家族一緒に食事をする機会が少なくなってしまいました。個人個人が、思うままに、何でも自由に生活することができるようになったのです。
 坂村真民氏は、以下のように述べています。

(中略)全く季節と関係なく過ごす人が多くなった。つまり自然の愛を深く心に滲透させることなく、日々を空しく送る人のいかに多いことか。特に感受性に富む少年少女たちが、自然の愛を身につけることなく、乾いた心で育ってゆくのを見ると、可哀相でならない。
あらゆるものがキラキラして呼んでいる。その声を聞こう。その姿をみよう。
                       「キラキラするもの②」より 

 私は、窓の軒先に風鈴をかけております。窓をいっぱいに空けて、建物の外と中とでの差を取っています。蛙、蝉の鳴き声が聞こえてきます。時より心地よい風が吹き、そこに風鈴の音色と短冊の揺れる様を見て、涼しさを感じ取ることができます。皆様も夏を全身(五感)で感じてみませんか。

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