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大いなるかな心や

(出典:書き下ろし)

 6月は雨が多い時期ですが、新茶がおいしい季節でもあります。私たちは日常、お茶を飲む習慣がありますが、初めてお茶を大陸から日本に伝えたのは、臨済宗のお坊さんです。栄西禅師(1141―1215)という方が宋からお茶を持ち帰ったのが日本茶のはじまりだと言われています。この和尚様の「大いなるかな心や」という言葉が今に伝えられています。意訳したものを紹介させて頂きます。

大いなるかな心や
私たちのもつ心とは何と広大なものであろうか。
天空の高さはきわまりないが、心はその高さをも超えることができる。
大地の厚さは測ることができないが、心はその厚さをも越えることができる。
太陽や月の光明より優れるものはないが、心の輝きはその光明をも凌いでいる。
宇宙は果てしないものだが、心は宇宙を越えて無限である。
(『興禅護国論』序文)

という言葉が残されています。
 私たちは、空を飛ぶこともできない、過去にも未来にも行くことのできない、まことに制限されたこの体を持ちながら、「心」は自由自在に世界を、時間を駆けめぐることができます。
 「劫」というのは大きな岩に100年に一度だけ天女がおりてきて、その羽衣で岩をさっとひとなでして帰っていくうちに、岩がだんだんすり減って、やがてなくなってしまう、そんな気が遠くなるほど長い時間をあらわしますが、私たちは、「心」を使って、万劫という長い長い期間すら一瞬にして飛び越えることができます。「心」を使って、岩がなくなる瞬間に思いを馳せることができます。あるいは逆に、ほんのわずかな楽しい時間であっても、心の持ちようで、それが永遠に長い楽しみの時間と感じることもできます。 
 また、心は大きいだけではありません。松尾芭蕉は、

よくみれば なずな花咲く 垣根かな

とうたいました。そんな風に、なにげない日常の中に感動を見出し、奇跡を見出す。こまやかな感受性を私たちの「心」は持ち合わせています。
 そのようなすばらしい心。その心をひとりひとりが授かって生まれてきています。これはまさに奇跡だと思うのです。

人間の尊さに目覚め、自分の生活も、他人の生活も大切にしましょう。

という格言は、この奇跡に気付いた感動からわき起こる誓いだと思います。「大切にしなければならない」のではなくて、「大切にせずにはいられない」という感激がそこにあります。

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