“あたりまえ”に喜びを
(出典:書き下ろし)
いよいよ梅雨の時期を迎えます。長雨が続き、じめじめとして、身も心もうんざりです。この梅雨のことを“五月雨”といいます。旧暦の五月にあたる頃に降る雨ということからだそうです。また、“卯の花くたし”ともいわれます。その頃に美しく咲く卯の花を腐らせてしまうほどの長雨ということからです。
さて、我々にとってイメージの良くない梅雨を、平安時代の歌人、藤原基俊はこう詠んでいます。
いとどしく 賤の庵の いぶせきに 卯の花くたし 五月雨ぞする
「ただでさえ卑しい身分の我が家は鬱陶しいのに、この季節に美しく咲く卯の花を腐らせてしまう五月雨が降り、より気分もふさいでしまう」というような意味でしょうか。誰もが、藤原基俊の気分がわかるように思います。
しかしよく考えてみますと、この梅雨は今年の卯の花は腐らせますが、卯の花の樹木にとっては、来年また花を咲かせるための恵みの雨ともいえます。私たちの生活においても、この梅雨がこの時期に降ることによって、田畑の稲や野菜を実らせ、食生活を豊かにしてくれます。木々を青々と茂らせ、夏場の水不足も解消してくれます。こう考えると、私たちにとっては、確かに鬱陶しい梅雨ではありますが、なくてはならない梅雨であると言っても過言ではありません。
鎌倉にある円覚寺の洪鐘には、北條貞時が国家の安泰を願って「風調雨順 国泰民安」と刻んでいまいます。国家の安泰は、風雨が順調に繰り返されるところにあるということです。風が吹く時には風が吹いて、雨が降る時には雨が降るという、あたりまえが国家の安泰につながるのです。国家だけではなく、私たちそれぞれの心もそうではないでしょうか。
あたりまえの時にあたりまえにある喜びを知ることが、この世の中に生かされている自分に感謝できる方法だと思います。あたりまえに感謝して生活していきましょう。