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いのちって何だろう

(出典:書き下ろし)

 お彼岸が近づいてまいりましたが、本格的な春はやはりお彼岸からでしょうか。暦の上では2月4日が立春です。この暦の上の春から、本当にあたたかくなる彼岸までの間を「心の春」といいます。ロシアでは「光の春」というそうです。
 さて国民の祝日に関する法律では、彼岸は「春分の日」とされ、「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」と定められています。これを「いのちを大切にしましょう」と受けとってもよいかと思います。しかし昨今は反対にいのちの軽視が問題になっています。いのちを単なる物質現象のひとつに過ぎないと考える生命観の人が増えてきたのではないでしょうか。例えば生命といっても、機械の動きのように考え、電池を取り替えると、止まった生命もまた復活すると思っている子供達も増えてきているそうです。また自殺(自死)も希薄な生命観が原因ではないでしょうか。自殺は心に4つの条件が揃うと現実のものとなります。すなわち①人生の意味がわからなくなる。②困難に対処する知恵と勇気が閉ざされる。③他人の言うことや愛情を受け入れなくなる。④自分自身が嫌になる。おおむねこうした心の条件が揃い、深まってくると自殺を考えます。あなたは大丈夫でしょうか?
 そこで私達はもう一度、いのちって何か、を考え直してみる必要があるのではないでしょうか。私の身体と心の働きだけが生命でしょうか。実は、全ての生きとし生けるものは勿論、それらを支えている水も、空気も、光も、大地も、宇宙も全てのものが、目に見えない大きないのちによって生かされているのです。そう考えると悠久の時間と、目の及ぶ限りの空間を超えて働いている“大いなるいのち”が大本(おおもと)にあると考えた方が良いと思います。そしてその本来の大いなるいのちはお互いに支えあって完全な調和を保って働いています。ノーベル賞を受賞された福井謙一先生はこうしたいのちを、「前生命的生命」と表現されています。
 芭蕉に「春雨や (よもぎ)を伸ばす 草の路」という句があります。この句は実は、悠久無限大の大いなるいのちをたたえ喜んだ句といわれています。今・ここに広がる心の春を、私のいのち、私のこころよと頂いて喜んでいるのです。頭ではなくこころで感じ、捉えてみましょう。

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