自分色
(出典:書き下ろし)
野山が色づき、秋の深まりを感じるころとなりました。木の葉が緑から赤や黄色に染まるのは、気温の低下にともない葉の中に生理的反応が起きるためといわれていますが、色の変化の過程がちょうど人間性の成長を表わしていると思うことがあります。
葉の色の移ろいを人間の心の成熟度ととらえてみると、紅葉はさしずめ人間性が豊かに熟したものと見ることができます。
歌舞伎の十三代片岡仁左衛門さんは、三歳の初舞台から八十半ばまでの自分の心の変化を「芝居譚」の中に書き遺しています。
よく見られたい一心の二十代、褒められたい一心の三十代は、外へ外へと心が向いていた時だったでしょう。六十代にもなると、お客に満足される芝居をと自らに引き寄せ、七十代ではとにかく役になりきらねばと苦心するようになったそうです。八十も半ばになって、何も考えなくなり雑念も入らない、無心の境地がなりきるという意識さえなくし、役そのものになっていたと言われます。
初舞台の初々しさは、さしずめ柔らかな青葉に、二十~三十代は、ピンと強く張って自分を誇示する夏の緑葉に擬せられます。名優の歳を積み重ねた舞台への修練は、芸の奥義を極め、錦の如く自らを輝かせます。それも寒さという試練を経て鮮やかに紅葉するように、役になりきる苦心を重ねたからこそ、メイクアップをした途端その役の気持ちになり、衣装をつければそのまま役そのものになっていけたのです。永年の精進が、よく見られたいとか、いい役者と言われたいというとらわれをなくし、そういう自分にこだわる自我がとれて、役と自分が自然に一つになっていったのでした。
名優の境地とまではいかなくても、人は人生を重ねて、それぞれの彩りを身につけていくものです。自らの内に目を向け、自らを磨いてきた人は、廊下を長い間拭き続けてできる黒光りの艶のように、熟した人格の色艶がにじみ出てくるものです。磨くとは、自分本位の心をけずることであります。それによってあるがままの自分に気がつき、その自分を生きているよろこびが満ちあふれてくるはずです。仁左衛門さんも「まことに気持ちよく舞台をつとめています」と、その心境を語っておられました。
私たちは、今何色の自分であるのかの自覚をもって、人生精進をすることが大事だと思うのです。