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椿の花

(出典:書き下ろし)

 本堂の前に毎年二月に咲く早咲きの椿と、四月に満開となる遅咲きの桜がある。今年はどうしたことか早椿が一月遅れに咲き、遅桜の満開が一月早まった。つまり三月下旬のまだ少し肌寒い頃、正面を挟んで対に立つ二本の古木は同時に花を咲かせた。訪れた人が、珍しい、見事な「競演」に歓声をあげている。
 桜の木は百年を超えるしだれ桜で、裏山から移植したものだ。樹齢のせいか最近では、二年に一度の割で満開の花を咲かせている。椿の木は、元々そこに立っていたものに、三代前の総代が手を掛けたもので、三色の花が咲く。白、朱、そして白地に朱のサシが入った三種の花を持つ一本の木は、あまり例がないそうだ。2本とも寺の名物である。
 春彼岸の参詣に毎年やってくるSさんは今年で88歳。米寿を迎えるちっちゃな老婦人だが、その実、檀家衆でも有名なパワフルばあちゃんだ。二時間かけて四輪駆動車を自分で運転してくる。水の入った桶を両手に持ち、脇に花を挟んで墓地の階段を上っていく。
 茶飲み話となった。毎年来ているから椿と桜に大変喜んでくれた。「デモね、若和尚、私は桜より椿の方が好きね。だって時期が来るとポトって落ちるデショ。私もああやってぽっくり逝きたいわ」
 Sさんは15年前に旦那さんを、数年前には頼りにしていた一人息子を突然の病気で亡くしている。自身も何度か入院をしている。決して「恵まれた老後」ではない。しかし墓参に来ては、茶を飲み、愚痴を言い、好物のケーキの話をして、明るく笑っている。
 「息子が死んだときこりゃあ生きていられないわ、と思ったけれど、私の他に墓守をする人も居ないし。お迎えが来るまでの私の仕事と思って、毎日一所懸命御飯食べてお掃除してお墓参りして。お迎えの時はよろしくね」
 Sさんならあと50年先だよと、ひとしきり笑いあって、最後に二本の木を見上げると、本尊に手を合わせて帰って行った。
 つらいことに背を向けず、黙って懸命に咲いて、時期が来たら、何にも逆らわずに黙ってポトリと落ちたい。寒松軒老大師の「花」という詩に描かれたような、強く美しい人生の生き方だと思った。詩が載った小冊子を、供物と一緒に差し上げた。
 仏の御命(みいのち)を生きる人がここにも居た。尊い命が茶を飲みながら、私のすぐ隣で笑っていた。私は深く感じ入り、嬉しかった。その日その時その一瞬を、良いことも悪いこともそのまま受け取って一所懸命に生きる。きっとみんなが等しく、輝く命を生きることができる。この命の美しい輝きを、それを教える仏法を伝え続けることは、仏教者に与えられた幸せな使命だ。私もみんなと一緒に輝きたいと思う。

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