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季節の移ろいに思う

(出典:書き下ろし)

 みちのくの季節の到来は遅く、一時にやってくる。昨晩京都より戻ると、一昨日、出掛けに満開であった門前の桜は散り落ちて、夜明かりに花びらが一面に敷きつめられていた。ゆっくりと味わう間もなき今年の桜花爛漫であった。
 翌日、朝の勤行も終わり、春の名残りを惜しむかのごとく、庫裡の裏山から境内を一周する。昨夜来の霧雨に濡れる山野草が、いつのまにか可憐な花を咲かせ、新緑を背景に揺蕩(たゆた)うている。ピンク色が眩しい日本桜草、白く小さな釣鐘がゆれるような一輪草、露に花弁を垂れる風情の白根葵は白と青紫のそれぞれが美しい。貴婦人の品格を漂わす延齢草、笠をかぶった踊り子の立ち姿が名の由来の踊子草、山から流れる清水の川辺に咲く水芭蕉などなど。桜に心奪われ、天を仰いで心待ちにしている間は、気付きもしなかった大地の芽吹きが、いつのまにか足元に溢れていた。諸行無常(*注1)の心憎さに痛快な思いで、ふと気がつけば、誕生日の朝なのであった。
 思えば二十代の修行の頃、専門道場に修行中のわが身を気遣い、毎朝仏餉(*注2)を据えつつ、無事を祈ってくれた寺の祖母も早、来年は十三回忌。代は代わり、この春、同じく専門道場に掛搭(かとう)(*注3)した我が息子の無事を案じる妻や寺の母の暮らし。
 「年々歳々花相い似たり 歳々年々人同じからず(劉廷芝)」の当体である。
 人の(うつ)し身は、いつしか滅びて、大地に戻る。とは言え、生前に交わした慈しみの心は、遺された者の心に慈雨となって降り注ぐ。形は目に見えずとも、心中深く染み渡り、新たな芽吹きを育む肥やしとなる。大いなるいのちと慈しみのバトンが時を越えて、連綿と受け渡されていくのだ。

 大いなるものにいだかれあることを けさふく風のすずしさにしる
山田無文老師

 わたし独りの命ではない。限りなく、果てしの無い無償の数々の恩恵の積み重なりの結晶である。なにかは知らねども、私の小さな意志や計らいを超えた大いなるものに、知らず生かされて生きるわたしのいのちである。
 季節の移ろいは、私の朝の心に新延齢草たなる芽吹きをもたらしてくれたようだ。
  
*注1―この世に永遠不滅の形の変わらぬものは何も無い。一瞬一瞬、絶え間なく移り変わり、ひと時も同じ形を留めることはできない。これこそが(とこし)えに変わらぬ真理である。
*注2―仏に供える米飯。仏供。
*注3―道場に入門すること。

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