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「生きる」ということ

(出典:書き下ろし)

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候。 良寛(1758~1831)

 私達の人生は、良いこともあれば悪いこともあります。良いことばかりが続けば良いのですが、そううまくはいきません。そして、悪いことが起こると悲観的になったり、あるいは誰かの責任にしてみようとしたりするものです。
 良寛さんは冒頭の句で、災難に逢った時、苦しい状況にある自分がどのような心構えでいればよいのかをお示しになったのです。それは、自分の置かれた苦しい状況を素直に受け入れて生きるということなのです。私自身もこの教えによって今まで随分救われてきたような気がします。
 先日、私は今まで経験したことのない程の激しい頭痛と高熱に襲われ、丸5日間寝込んでしまいました。処方された薬もはじめの3日間はほとんど効かず、痛さゆえに寝るにも眠れない苦しいだけの時間の中で、なんとか自分を励まそうとこの言葉を思い出したのです。
 何故こんな目に遭うのだろう、と過去を悔やみ愚痴を言っても仕方がない。いつ治るのだろう、と未来をみても仕方がない。ひとまず病気である自分を素直に受け入れ、それならば、今は休むことに専念することが精一杯生きるということであろう、と。そう考えると一見災難である病気が、いつしか災難でなくなっている。それどころか前向きで積極的な生き方へとつながっていくような気がします。

躓けば躓くままにコスモスの花美しみ臥せて今日を嘆かず  井伊文子

 結核を患い闘病生活を余儀なくされた井伊さんでしたが、いつしか躓いた自分を素直に受け入れられるようになりました。そして、躓いたおかげでものごとをじっくり味わうことの出来る時間を楽しんでおられる様子がうかがえます。
 これが災難を逃れる一番の方法だと良寛さんはおっしゃっているのです。

*「臨済宗仏事のこころ」藤原東演著・チクマ秀版社より一部引用

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