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不思議な命

(出典:書き下ろし)

 先日、近くのお寺で開催された夏休みの子ども研修会のお手伝いをしました。私は時々近くの施設で天体観測の外部講師をして子ども達と観望会を開いています。そのためか研修会でも私は理科の先生という肩書きでした。研修会が始まって理科の先生と書かれた名札を見た一人の男の子が私にたずねました。「和尚さんは理科の先生だけど何をするの?」私は「今夜、晴れていたらみんなと星を見るんだよ」と言いました。すると子どもは「それって何か意味があるの?」と言うのです。そこで「君は自分の目で星空を見たことがあるの」と聞くと「知っているよテレビで見たことがあるから・・・」と答えたのです。ごくあたりまえの返答のようにも思いますが、自分の実体験ではない情報を通じて知っているつもりになっていること、それがあたりまえだと感じていることに寂しさを覚えました。
 夜になると雨上がりで空気が清んでいたせいもあり満天の星空が広がり、薄っすらと天の川も見えていました。そのような星空に出会う機会は田舎でも珍しく、私自身が夢中になって子ども達を地面に仰向けに寝転ばせて夏の星座や天の川を眺めました。すぐに子ども達から「ワァー」「すごーい!」「あっ!流れ星!」といった歓声がわきあがりました。そして星の話しをすると誰かが「宇宙って不思議だなぁ~」と言いました。私が星を通じて子ども達に感じて欲しいことの一つにその不思議ということです。
 仏教に「不思議」の同義語で「不可思議」という言葉もあります。これは一般的な考え、理屈では理解できないことを意味しています。さらに「摩訶不思議」という言葉もあります。摩訶は、大いなる、ひじょうにといった意味で、摩訶不思議とは、とても不思議だという意味になります。しかし、奇怪な不思議さを言うのではなく、人の考え、理屈を超えたすばらしさを表現する言葉であります。
 まさに自然や宇宙のあり方、姿は「摩訶不思議」でありましょう。さらに、私たち人間にとって星空や自然の不思議さ以上に摩訶不思議なのが、命であり、心であると思います。ですから、命の尊さを感じることのできる豊かな心を育てることが大切だと言われていますが、それは理屈で教えられるものではなく、自然や正しい教えを手本としながら、日々の体験、生き方の中で感じ得るものであると思います。
 さまざまな情報を通じて何でも理解し、分かったつもりになるのではなく、摩訶不思議な宇宙、自然界の中で奇跡的な一瞬を生かされていることを忘れず、日々の生活の中で与えられたすばらしい命を精一杯活かしていきたいものです。

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