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施餓鬼会

(出典:書き下ろし)

睡蓮 お盆のころになりますと
施餓鬼会(せがきえ)』という行事が寺院にて行われます。文字のとおり餓鬼道で苦しむ餓鬼に施す行事です。施餓鬼会はお盆の時期だけでなく、お彼岸のころに行われる地域もあります。
 施餓鬼会の由来は『救苦焔口(ぐくえんく)餓鬼(がき)陀羅尼経(だらにきょう)』にとかれています。
 お釈迦様の十大弟子の一人阿難尊者がある日、一人静かに坐禅をして修行をしていますと、口から火を吹く鬼が現れ「お前は三日以内に死ぬだろう。そして餓鬼道におちて苦しむだろう」と告げて消えたそうです。そこで阿難尊者は思い悩んで、お釈迦様に相談しました。するとお釈迦様は「多くの餓鬼や僧侶に食べ物や水などを供え供養すれば救われる」とお示しになり、その通りにしたら阿難尊者は長生きできたというお話に由来しています。ですから、今でも施餓鬼会には海の物と山の物のお供えをし、水をかけ、お米を供えます。また先祖のためだけでなく三界萬霊の位牌をたて、『有縁無縁三界萬霊』とすべての霊に供養するとなっています。自分たちの親・先祖の為だけに供養しているのではない、それ以外の苦しんでいる餓鬼道の人々にも供養していることが重要です。
 あるお母さんがこんなお話を新聞に投稿されていました。3歳の娘さんがおやつが欲しいとせがんできた時のことです。冷蔵庫を見るとプリンが一つだけ残っていました。幼稚園に行っているお兄ちゃんが帰ってくるとケンカになると考えて、内緒で食べてしまうように言い聞かせ娘さんにあげたそうです。ところが、3歳の娘さんは一口だけ食べると「やっぱりお兄ちゃんが帰ってきたら半分こして食べる」と残してしまいました。お母さんはとても恥ずかしくなったそうです。

幼子の しだいしだいに 知恵づきて 仏に遠くなるぞ 悲しき

という古歌もありますが、3歳の娘さんのほうが大人である母親より分け合うという仏様の心を持っていたのでした。そして二人で仲良く食べた方がずーっとおいしいことを知っていたのでした。

他所の田へ 追うてやりたや 群ら雀

と詠まれた句があります。これは私達が日ごろ何気なく思っていることです。ところがこの句は一字を変える事によって大きく変わるのです。

他所の田も 追うてやりたや 群ら雀

 「自分さえよければいい」ではなく、みんながよくなる事を願い実践していく、自分に関係ある人も無い人もかかわらず全ての苦しんでいる人たちが救われん事を祈るのが施餓鬼会の大切な意味ではないでしょうか。そしてそのことよって、私達の心の中の「自分さえよければ」という餓鬼の心を捨て去ることができるのではないでしょうか。

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