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心を照らし顧みよ

(出典:書き下ろし)

 私は毎年5月下旬になると家内に促されて欠かさず健康診断を受けに行っていますが、私以外にも健康に関心のある方は非常に多いらしく健康管理センターはいつも受診者でごった返しています。毎年そこで本当に困ったものだと感じる出来事に遭遇します。
 健康管理センターで最初に受付を済ませ、検診用の更衣に着替えると、スタッフから検尿の為トイレに行くように促されます。トイレの入口に行ってみると、スリッパが散乱していることに、いつも驚かされてしまいます。私は散乱したスリッパを綺麗に揃えてトイレを後にするのですが、10分程度経過してそのトイレの前を通りかかると、またスリッパが散乱しています。再び私がスリッパを揃えているときは他の受診者の方もハッとした様子で気を使ってスリッパを揃えてトイレを出ていかれます。しかし10分も経つとトイレのスリッパは再び散乱していて、自分が使ったあと次の人に気持ちよく使って頂こうという“心づかい”や“思いやり”が希薄になっているのではないでしょうか。
 禅宗寺院の玄関で「照顧脚下(しょうこきゃっか)」という四文字の言葉をよく見かけます。「照顧脚下」とは「足もとを照らし顧みよ」ということで「履物を揃えて脱ぎなさい」という意味でよく使われていますが、その真意は自己の中に灯りを持つことの教えであり、「おのれの心を照らし顧みよ」ということです。
 とかく他人の“足もと”はよく見えて気付くものであります。つい他人の批判も多くなってしまうものです。しかし、自分の“足もと”となると「燈台下暗し」の方が多いようで、なかなか気付こうとはせず顧みようともしないものであります。外にばかり目を向けるのではなく、内に目を向けて自分の足もとを照らし顧みることが大切です。
 ご自分の体の健康に関心を持ち健康管理のために健康診断を受けられることは大いに結構なことですが、その半面、心の健康に気を配ることが少々疎かになってはいませんか。
“心”や“思い”を見ることは出来ませんが、“心づかい”や“思いやり”を見ることは出来ます。
今年もまた、私は健康診断の季節となり、先ほど家内が受診の予約を入れてくれました。心の健康診断はけられませんが、トイレのスリッパを揃え、年に一度の「心のケア」をしようと考えています。

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