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作務

(出典:書き下ろし)

 日差しが強まってきた初夏の朝。私どもの会報誌「仏心」を各お寺に配っていた時の事でした。山門をくぐって玄関へと歩を進めていましたら、境内の裏からひょっこりと御老僧。軍手をした手には鎌。思わず「御老僧、作務(さむ)(掃除等の労務)ですか?」見ればわかるであろう、当たり前のことを聞いていました。
 境内の奥は確かに木々が生い茂っています。日天清掃(毎朝の通常掃除)で普通に掃除されるならまだしも、鎌を手にハードな作務を老僧お一人で全てされるのは……。失礼ながら九十近いお年を考えますと、キツイのではないかと思ったからです。
 「これはこれは、どうも。お忙しいのに、いつもご苦労様ですな」。何でもないようにタオルで汗を拭きながら返ってきたのは、私への心配りの言葉と、満面の笑みでした。本当に有り難く、また勿体無いお言葉だと思ったものでした。
 「年を取って、最近は体が言う事聞かなくなってなあ、それで作務が昔のように出来なくなった。結構辛いものだよ」。つい先頃まで普通に作務をされていた、他の御老僧の言葉です。
 今の子ども達を(かんが)みてみますとどうでしょう。たしかに机の上での勉強も大事です。でも、そういう時間ばかりでは……。むしろ机の上を離れて、身体を動かし、汗を流す事を大切にして頂きたい。
 お子さん、お孫さんは家の手伝いをしていますでしょうか?お手伝いだって立派な作務です。自分の家の手伝いも出来ない子が、他人の手伝い(手助け)が
できる心優しき子に育つとは思えません。この事を体験上分かっているから、御老僧方は皆、一様に作務の大事さ、有り難さ、尊さを後ろ姿で教えてくれたのです。
 同居中の子や孫に、帰省中の子や孫に、せめて長い休みの時くらいは家の手伝いをさせてみてはどうでしょう。手始めに食後の片付けと勉強部屋の掃除ぐらいから……。

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