気持ちよく過ごすための秘訣
(出典:書き下ろし)
五月ともなると野山の木々も随分と青々となり、とても清々しく過ごしやすい季節です。私たちの心持ちも、そんな風に気持ち良くありたいものです。
仏教では、特に善きことをなすべきであるといって五月と併せ一月・九月の3つの月を善月といいます。“善き”をなすと言っても難しいものです。良かれと思い、したことが悪い結果を生んでしまう。悪いことだと思い慎めば周囲の人に迷惑を掛けてしまう。善と悪との境目を引くのは、とても難しいことです。
七仏通戒偈という、七つ仏さまが共通の戒めとしたと伝わる経文があります。
諸々の悪を作す莫れ、もろもろの善を行い奉れ、自ら其の意を浄くする、これ諸仏の教えなり。
大した意味ではないと感じられるかもしれませんが、自信を持って善き事を実行していると言い切られる方は、どれ程おられるでしょう。
昔、唐の時代のある和尚様は、いつも木の上におられました。町外れの大きな松の木の枝に板を渡して坐禅をしておられたのです。まるで、鳥が窠(鳥の巣)を作って住んでいるかのようなので、鳥窠和尚と呼ばれています。
ある時、非常に仏教に帰依していた白楽天という役人が鳥窠和尚を訪ねて問います。「和尚様。仏の教えの極意とは何でしょうか?」この問いに対し、鳥窠和尚は「諸々の悪を作す莫れ、もろもろの善を行い奉れ」と答えました。白楽天は「和尚様、そんなこと子供でも知っていますよ!」と返します。
確かに、誰でも知っていることです。でも、分かりきっていることなのに実行できないのが現実ではないでしょうか。だからこそ、仏さまですら戒めとしているのです。
では、どうすれば実行出来るのか。それは、“自ら其の意を浄くする”ことです。
私たちは、過去をやり直すことも、未来を見ることも出来ません。今、あなたが自信を持って行っていることが必ずしも善き結果・好ましい結果を生むとは限らないのです。これで良いと思っていても、時には悪い結果・望まぬ結果になってしまうこともあるのです。
実は、“善をなす”というのは、物事に真剣に取り組むことなのです。つまり、高い木の上のような危険なところであっても一心不乱に坐禅ができるほどに臨むことなのです。何かを必死に行ったという時ほど清々しく気持ちの良いものは、他には無いではありませんか!
“自ら其の意を浄くする”とは、あれやこれやと損得・好き嫌いにとらわれずに自分の行いに対し一点の翳りも無く必死に取り組むことだったのです。純粋な心持であることがが“意を浄くする”の言わんとすることなのです。
新緑が清々しいのは、厳しい冬を乗り越えて一心不乱に生きようとする若芽の直向きさが感じられるからなのかも知れませんね。