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降誕会

(出典:書き下ろし)

 暖かい風が吹き抜け、春の到来を伝えると、いたるところで命が芽生え、草木は花を咲かせてくれます。その景色と春風につられて、私たちの心も、話題も明るくなり、まるで見るもの全てが微笑んでいるかのようにも感じられます。
 お釈迦様がお生まれになられた四月八日もきっとこのような風景であったに違いありません。それゆえ、お釈迦様のお生まれになった日は、花祭りともいわれます。
 花といいますと、昨年十二月に亡くなられた仏教詩人の坂村真民先生の代表的な詩「念ずれば花開く」を思い出します。

念ずれば 花ひらく 
苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを
わたしも いつのころからか となえるようになった
そうして そのたび わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ ひらいていった

 真民先生の家は、真民先生八才の時、小学校の校長をしていた父親が急逝し、貧困のどん底に落とされます。そんな中、
五人の子供を一人抱えた母の苦労は、並大抵のものではなかったと思われます。
 母が念じたことは、生活が楽になることだったかもしれません。しかし、その願いは子供達の境遇と一つになり、子供達の行く末を案じる、母としての純粋な願いであり、それは、お釈迦様がお説きになられた「慈悲の心」そのものであったのだと思います。その母の姿を見続けた真民先生は、やがてお釈迦様の教えに出会い、世の中の平和を願い、その詩はわたし達の、心の花のありかを教えてくれました。
 お釈迦様は、お生まれになると同時に、七歩お歩きになり、指で天と地を指し「天上天下唯我独尊(この世に我一人尊し)」と言われたと伝えられています。
 お釈迦様が言われた「この世に我一人尊し」とは、自と他との区別を越えた我、すなわち全ての生きとし生けるものが、慈悲という花の種をもって生まれてきた仏であるとの宣言であったのです。
 念ずれば花ひらく・・・春の陽気に包まれる中、花の開花と共に、私たちが皆仏であることを自覚し、個々の花が咲き、微笑み合える世の中になるよう、念じてゆきたい。降誕会は、そんな願いを立てる時ではないでしょうか。

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