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春の芽生えと共に

(出典:書き下ろし)

春の芽生えと共に 暖かな風に誘われ、草木は芽生え、小鳥はさえずり、うららかな春を迎えました。太陽が明るくのどかに照っている姿は、時に私たちの心に澄み渡り、優しい気持ちにさせてくれるものです。
 心地よい風が吹き抜けるこの時期、お彼岸を迎えます。彼岸とは、心に悩みや苦しみのない、お悟りの世界を意味します。しかし、決して、ご先祖様だけが、遥かかなたの彼岸に到っている訳ではありません。

幾山河(いくやまかわ) 越えさり行かば寂しさの 終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく

 有名な俳人、若山牧水の詩です。
 どれだけの山や河を越えて、一体どこまで行けば寂しさのない世界があるのだろう。そう思いながら、今日も旅を続けていく牧水の心が詠われています。私たちの人生においても、悩みや苦しみの消え去るような、安心できる場所はなかなか見当たりません。どうしても、「今」に満足出来ずに、遠くにある幸せを追い求めてしまいがちです。
 しかし、牧水の詩は裏を返せば、どこまで行こうが決して到達することの出来ない場所を探すよりも、今、何が出来るのかを自分に問いかけて、決して拭えない寂しさを、逆にしみじみと味わいながら、大自然と一枚になってその場を務めて行く、「今」を生き抜いていく、という牧水の境地を垣間見る事が出来るのです。
 牧水は、決して悠々自適な人生を送った訳ではなく、様々な苦しみや寂しさの中で、自分を見つめ、生きていく証を見出しながら詩を書き続けたのです。
 そんな牧水も、1872年9月、43歳の若さで人生の幕を閉じます。

往き往きて 彼岸に往きて 彼岸に到達せる(さとり)

 牧水が亡くなった時に、愛する夫を失った妻喜志子は、この言葉を手紙にして、棺の中に、そっと添えられたそうです。愛する人との別れは、悲しみや苦しみに突き落とされる瞬間でもあります。おそらく喜志子は、彼岸に渡って欲しいという願いと同時に、共に過ごしたかけがえのない時間に感謝をしていたのかも知れません。「別れ」という苦しみの中から、知らずのうちに、慈しみと感謝の気持ちが生まれた手紙だったのではないでしょうか。今まで、共に過ごした時間は、楽しい時も苦しい時も、その場がいつも彼岸の世界だったのだと最後に覚り、伝えようとされたのかも知れません。

 暖かな風、穏やかな太陽、生き生きとした山や川、そして春の芽生え。壮大なる大自然は、観るものを魅了し、心をも落ち着かせてくれます。その美しさに惹かれ、澄み切った心で、各地を廻りながら詩を遺された若山牧水。共に悲しみ、共に励まし喜びあってきた喜志子。二人にとって、懸命に生きてきたその場その場が、そのまま「寂しさの終てなむ」場所であり、彼岸の世界だったのです。
 牧水や喜志子が、「苦しみ」の中にありながら、その場に幸せを見出したように、私たちもまた、この場を「彼岸」だと信じて、皆で手を取り合っていきたいものです。

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