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網代笠とクモ

(出典:書き下ろし)

 この寺に始めて身を置いた日、小さな玄関の柱に釘を打ち、網代笠を掛けた。修行時代、日々の托鉢に用い、少々傷んでいたが、分身との思いがあった。網代笠を柱に掛けた次の日、初めての来客があった。隣村のお年寄りだった。
 「若い住職が入ったと聞いて来た。このあたりでは昔から、豆腐を食べるものは財産を無くすと言う。昔は、豆腐一丁の値段で、豆腐と同じ広さの土地が買えた。それで皆、豆腐を食べるのを我慢して、豆腐の広さの土地が増えたと思いながら今の財産を築いた。そういう者たちをこれから相手にするのだ、しっかり覚悟してやりなさい。わしの親はこの寺が45年前、無住になった時、世話人だった。わしが檀家の第一号になるから、がんばりなさい」と。柱の網代笠をはずして出て行きたい衝動に駆られた。次の日、近くの品の良いお婆さんが尋ねてきた。
 「このお寺は何宗ですか?」「禅宗です」「禅宗ですか? そうですか。ところで禅宗は、お東ですか? お西ですか?」このときも柱の網代笠に手を伸ばしかけた。

 爾来30年、ずいぶん古ぼけたとはいえ、網代笠はまだ柱に掛かったままだ。
 妻が玄関の下駄箱の上に、「秋海棠(しゅうかいどうく)」を一輪生けてくれた。すると一匹のクモが、網代笠と「秋海棠」の間に糸を渡し網を掛けた。折からの西日に映えて、網は輝き、はずす気になれず、クモに話しかけた。
 「30年も前からある網代笠と、今咲いたばかりの「秋海棠」の間に網を張るとは、お前も良い度胸だ。しかしな、玄関の中へは虫などなかなか来ないぞ。辛抱が第一だ。わしなど、宗教者として30年、この玄関に網代笠を掛けていても、このざまだ。だがこれも不思議なご縁だ。お互いがんばろう」と。

クモに生れ網をかけねばならぬかな
( 高浜 虚子 )

クモは網を張るが如くにわれあるか
( 高浜 虚子 )

クモは網張る 私は私を肯定する
( 種田 山頭火 )

カット 左野典子

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