禅と蝉
(出典:書き下ろし)
今夏の蝉の初鳴きを私が聞いたのは、七月の六日だったと記憶しています。ジーと押し殺した声で鳴くニーニーゼミでした。やがてアブラゼミの声を聞くころ、夕方や明け方には、ヒグラシのカン高い鳴き声を耳にしました。
暑さの厳しい毎日は、ほとんどがシャーシャーと鳴き騒ぐクマゼミ一色でした。お盆の前後からミンミンゼミの鳴く声に、そろそろ秋の気配を感じ、ツクツクホウシは、その極めつけでした。
処暑を過ぎてもまだ厳しい毎日ではありますが、早朝、犬の散歩に出ると吹く風に肌寒さを感じるようになって来ました。でもまだ日中の暑さは立派なものです。でも芙蓉の花の蕾が膨らんで来た今、少しずつではありますが、変わって来ました。
シャーシャーと鳴く蝉の鳴き声がほとんど聞かれなくなって来たのです。ミンミンゼミもツクツクホウシも今日などは、嘘のように少なくなってしまいました。
でも時折り、最後の最後までゆく夏を惜しむかのように一生懸命に泣き続けている蝉の声を耳にします。ほんの小さな体の響鳴管を力一杯響かせ、大きなスピーカーに負けずと周囲の物には目もくれず只管鳴き尽くしている姿には、頭が下がります。
そう言えば禅語の中に、「寒蝉古木を抱き、鳴き尽くして更に頭を廻らさず」とありました。蝉の一生というのは、土中で数年、地上で数日と言われるように短いものです。
私たちのように七十~八十年ぐらいは生きることが出来ると、一日の中の数時間といっても無駄ではないと思いがちです。何をするにしてもまだ時間は十分にあると思ってしまいます。
他人や他所事にとらわれずに自分のやるべき事を一生懸命にやりなさい。生死事大 無常迅速 時不待人 謹勿放逸と、教えられているようです。蝉は、禅に通じているのでしょうか。