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あらそいのない世の中に

(出典:書き下ろし)

 私は在学中の昭和十五年に、京都右京区役所で徴兵検査を受けました。その当時は毎日のように各僧堂へ赤紙、いわゆる召集令状がくるありさまでした。僧籍にある者も戦争へ行く、国民皆兵という国法がある。矛盾した世の中だなと感じるようになりました。
 昭和十九年六月、僧堂(ざい)(しゃく)中に応召(おうしょう)しました。高単で任官され、一時僧堂へ帰錫中の、四国の赤星寿さんが玄関で写真を撮ってくれました。そして、軍隊というところは、徽章の星の数が多いほど、楽をするので幹候(幹部候補生)を受けるよう指南されました。僧堂生活をしていたので軍隊の勤めはそんなにつらいものではありませんでしたが、(まこと)に仏教徒()も殺生をしなければならない苦難の毎日でありました。いつも釈尊(おしゃかさま)(さと)りのことを思うようになりました。
 お釈迦さまは、三十五歳の十二月一日、菩提樹下に枯れ草をたくさん積んで坐禅観法に入られました。よく繁っているので雨も下までとどかない。その時に村)主の娘スジャーターが、長い修行で体がやせおとろえているお釈迦さまに、羊の乳でつくったお粥を一日一食施し、お釈迦さまはそれをいただき、寝るのも坐禅したまま坐睡された。
 長い長い間の修行が結実して十二月八日暁月の明星、きらきら輝いているお星さんを見られ、「ああ、あの輝いている星は自分が輝いているのだ。自分とあの星は一体なのだ」と悟られ、思わず「奇なるかな、奇なるかな、一切の衆生、如来の智慧徳相を具有す。山川草木悉皆成仏(ああ不思議なことじゃ。不思議なことじゃ。今悟ってみると人間というものは、お母さんのお腹の中にやどった瞬間に、今まで自分が信心してきた観音さまのような大慈大悲の尊厳な命をいただいて、この世に生まれてきたのである。人間は申すに及ばず山も川も草も木もみんな尊い命をもっているので大切にしなければいけない)」とおっしゃった。これが通説です(平成十七年において二五九三年前のこと)。
 それなのに、なぜ人間が「嘆き」「悲しみ」「苦しみ」「病をする」のか。
観音さま お釈迦さまは、「人間は賢い動物であるから、(とん)(むさぼり)・(じん)(いかり)・()(ぐち)の三つの毒、つまり三毒を持っている。成長するにしたがって、どうしてもやさしい(・・・・)方へといきたがる」と説かれた。三毒をコントロール、調整するために、観音さまは三十三に身をかえて、私どもの「嘆き」「悲しみ」「苦しみ」「病い」を救おうという大きな願いをもっておられるので、いつでもどこでも、「つまらん」「くだらん」「何にもならん」ことを思考した時は「南無観世音、南無観世音……」と念ずることが大切なのです。
 病気は、気をやむこと、気をくずすこと。気が元へかえれば元気になります。念ずるの「念」とは今の心、今の心とはお母さんのお腹の中に宿った瞬間にいただいた観音さまそのままなのです。

カット 左野典子

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