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落ち葉に寄せて

(出典:書き下ろし)

 秋も深まり、落葉の季節となりました。紅(黄)葉に惹かれた観光客が、名刹、名勝へと押し寄せる時季です。
 しかし、同じ落ち葉が、僧侶にとっては悩みの種です。掃いても掃いても落ちてくる。
 「和尚さん、掃除が出来とらんな」と、参拝者から叱られる始末です。
 ところで、「切りが無いのは庭の落ち葉だけだろうか」。ふと、拙僧は考えるのです。振り返って自分の心を見直してみると、煩悩・欲望・不平不満などの「落ち葉」が積もっているではありませんか。
 僧侶にとって、庭の落ち葉を掃くことは、自分の心を掃き浄めることに通じます。
 釈尊の弟子に、シュリハンドクという者がおりました。ものを覚えるのが苦手で、一説には、自分の名前さえ忘れたといいます。そんな彼に、釈尊は「きれいにしましょう(塵を払わん、垢を除かん)」と教えました。シュリハンドクは、ひたすら庭掃除に励みました。ある時彼は、庭掃除が、自分の心の掃除に通じることを悟りました。

  掃けば散り、払えばまたも塵積もる  人のこころも 庭の落ち葉も(道歌)

 心にも庭にも、落ち葉は、あとからあとから降り積もります。日々勤めねばなりません。
 ここで、「毎日掃除していたら、有名な○○寺の紅葉を見に行けないじゃないか」とご心配の方へ。
 色づく葉は、葉緑素も壊れ、いわば、人生最後の時期に当たります。最後、見事に色づいて、人々を感動させる。そして、落ち葉となっても、やがて土壌の養分となり、新たないのちを生み出す。われわれ人間も、学ぶべき姿ではないでしょうか。
 紅葉目当てのお寺参りも、立派な修行です。

参考文献・資料
*禅学大辞典
*大道社発行、松原泰道監修「教育まんが だるまさん」
*臨済宗妙心寺派 龍源山長福寺ホームページ
*東京新聞『わが家の庭仕事』平城好明(園芸研究家)

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