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彼岸花

(出典:書き下ろし)

 なぜか、あの彼岸花が好きです。彼岸花とはどなたがネーミングして下さったか、この響きがとてもいいです。
 なにが好きかというと、秋彼岸近くになり気が付くと静かに咲いている。やがて彼岸も過ぎ、秋風が吹き始めるころ、気が付くと、静かに姿を消しているのです。
 わずか1週間ほどと言うはかない生命ながら、時期を間違えず訪れ、ひととき目を楽しませてくれてサーッと去っていく。しかも、この秋彼岸の時期にですから、まるで仏さまのようです。
 私たちが、悩み、苦しみ、迷っている時にどこからともなく、スーッとあらわれ、いつしか、笑顔が戻ると、またスーッと姿を消される。
 この彼岸花、別名「曼珠沙華」(まんじゅしゃげ)“天上の花”という意味だそうです。「これを見る者は自ずから悪業を離れるという」(仏教辞典より)
 出来たら何度も何度も見て悪業を離れたいものですが。しかし、残念ながら罪を犯さずには生きていけないのです。いま、頂く食べ物すべてには、いのちがあるのです。そのいのちを頂くわけですから、これほどの罪はないでしょう。「飯を食うではなく、ご飯を頂くのです」という言葉通り、まさに頂くのです。
 諸々の悪業も、犯さずにはおれないけれども、出来るだけ犯さないように努力することは可能でしょう。最小限に止めることは出来るはずです。
 それにはやはり「そうだ、そうしよう」「そうだったのか、そうだったのか」と自分自身への目覚めこそが大事なことであります。そこがそのまま彼岸でもありましょう。
 彼岸花は、厳しかった暑さもいつしか去り、人々に彼岸の訪れを告げ、目を楽しませ(利他行)(生)、彼岸も終わり、風の音に秋を感じる頃(老、病)いつしか、こっそりと姿を消していく(死)。
 そのような人生でありたいと私は思っているのかもしれません。

  曼珠沙華咲いて 
  ここがわたしの寝るところ    山頭火

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