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戒律と禅定と智慧

(出典:『琉璃燈』(平成10年2月15日発行))

 『臨済禅師語録』の「行録(あんろく)」(特に禅僧の行脚(あんぎゃ)や修行などの経歴あるいは、行状の記録)に、

落髪(らくはつ)受具(じゅぐ)するに及んで、講肆(こうし)に居し、(くわ)しく毘尼(びに)を究め、(ひろ)経論(きょうろん)(さぐ)る。云々
。(原漢文)

とあります。
 臨済禅師(?~八六七)は、落髪して出家し、具足戒(僧尼が受持すべき戒律)を受けると、講肆すなわち教家(きょうか)(仏教の指導的地位にある高僧)の講義の席で、経律論(仏の説いた経典と、仏の定めた戒律と、後の学僧等が教えを解説究明した論書の三蔵)を学び、毘尼すなわち戒律を精密に研究し、経典や論書を博く読誦(どくじゅ)されたが、にわかに、これは世の中の人々を救う医者の処方箋のようなものにすぎないと思われるようになり、禅を求めて黄檗希運和尚(?~八六五)の下で参禅されるようになったというのです。
「臨済の喝」と並んで「徳山の棒」といわれる徳山宣鑒(とくさんせんかん)禅師(七八〇~八六五)は『景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)』巻第十五によりますと、

姓は周氏、丱歳にして出家し、年に依って受具す。律蔵を精究し、性相(しょうそう)の諸経に於いて旨趣(ししゅ)に貫通す。常に金剛般若を講ず。時の人これを周金剛と謂ふ。()の後、禅宗を訪尋(ほうじん)す。云々(原漢文)

とあります。
徳山和尚は、幼くして出家し、二十歳になると具足戒を受け、律蔵を精密に研究され、倶舎論(くしゃろん)や唯識論に精通されました。そして、いつも『金剛般若経』の講義をし、その注釈書も数多く書かれていたので、当時の人たちは、和尚のことを「周金剛」と渾名(あだな)で呼んでいました。
 さて、この二人の禅匠(禅の道をきわめた宗匠)に共通しているのは、出家して戒律と経論を精しく研究された上、禅の道に進まれていることであります。哲学や仏教学を真面目に研究していますと、どうにも落ち着かないものを感じ、あるいは、これでよいのだろうかという思いに悩まされることに、たびたび出会います。禅匠を求めて、この方たちが行脚に出かけられたことも、臨済禅師が三年もの間、黄檗和尚になんと問うてよいかわからず、首座(しゅそ)(修行僧中の第一座の人)に教えられてはじめて「仏教的的の大意」(仏教ぎりぎりの極意)を問うたのもよくわかります。徳山和尚が、師の竜潭(りょうたん)禅師(七八二~八六五)から、こよりを油にひたして火をつけるあかりとりの火を吹き消された時の心境は、周金剛と渾名されるくらい、徹底して『金剛経』の研究に打ちこんでいられた方であったからこそよく味わえたのだと思います。
 仏教では、「三学(さんがく)」(仏道を学ぶための最も大切な基本的修行を三つに整理したもの)といって、「戒学(かいがく)」・「定学(じょうがく)」・「慧学(えがく)」を挙げます。「戒学」というのは戒律(悪を止め善に努める)を身に付けることであり、「定学」というのは、禅定(心をしずめ雑念を払って精神統一を行うこと)で参禅(禅の指導者の室に入って禅の問題である「公案」に対する自己の見解を述べ、その当否を問うこと)することであり、「慧学」というのは、智慧すなわち経典・論書などで仏の教えを研究し、あるいは戒学と定学の上に立って真実のすがたを求め究めることで、この三つを学んではじめて「仏教徒」といえるのです。戒律を仏教徒として身につけていなければ、禅定も智慧も浮いたものになりましょう。智慧を欠いた禅定は外道(仏教以外の考え、また、それを信奉する者のこと)で、仏教を害することはあっても、益することは少しもありません。また、智慧のみに仏教を求めて戒律と禅定を忘れた知識人は、天上の星に気をとられ溝に落ちて笑われた哲人・タレスとなりかねません。
 もともとインド仏教では、「三学」といって、三つに分けて仏教を理解していましたのが、中国で確立された禅宗では、当初は、その中の一つ、坐禅が中心となり禅宗といえば、坐禅を行う仏教と見られるようになりました。それも、中国人の性格になじんできますと、坐禅のほかに作務(労役)が重んぜられ、この二つが両脚のようになり、さらに、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(日常のすべての行為)の中に禅が籠められるようになりました。これからの日本の禅宗は、日常生活の中で、禅の血肉が活き活きとみなぎるような、時と処に即応した在り方が、いっそう要請されてくるでしょう。

香版(こうばん)
 一般には「警策(けいさく)」という。「警覚策励(けいかくさくれい)」の意で、修行精進を励ますこと。禅堂修行の最高位の者(禅士)の前に「定香尺(じょうこうしゃく)」を置き、その近くに、この棒(約一・二米の、基本的には樫材で、手に持つ部分は丸く、先端にゆくにしたがって、偏平に幅四糎くらいにしたもの)を安置し、修行者が坐禅修行に入る直前に、この棒をいただいて堂内を一巡し、修行者の睡眠に落ちたり、怠惰に陥るのを(いまし)める。『清規』には、表に「巡香(じゅんこう)」、背には「警昏沈(けいこんちん)」と記すよう定めている。別に、表に「散香」、背に「警雑話(けいぞうわ)」と記すものも合わせ載せてある。一般に用いている警策は、この「巡香警策」の半分以下の厚さのものである。

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