トパーズ色の風にいだかれて
(出典:書き下ろし)
『つゆのあとさきの、トパーズ色の風は』と歌う、さだまさしさんの名曲『つゆのあとさき』は、私の学生時代に流行しました。今年も、トパーズ色の風が吹く季節となりました。
山田無文老大師(一九〇〇~一九八八)に、
大いなるものにいだかれあることを
けさふく風のすずしさにしる
という歌があります。無文老大師は大学に入学されてまもなく結核を患い、郷里で療養することになりました。同じ頃、お兄様も同じ病気を患われ他界されてしまいます。「自分もそんな長生きできる人生ではない」と悲観的な療養生活を送っておられたある日、庭の隅の南天に吹いてくる風のそよぎに、「こんな気持ちのよい風に吹かれるのは何カ月ぶりだろう」と思いながら、「おれは一人じゃないぞ。孤独じゃないぞ。おれの後ろには、生きよ生きよとおれを育ててくれる大きな力があるんだ。おれはなおるぞ」
(山田無文著『わが精神の故郷』より
)と覚られこの歌を詠まれたそうです。無文老師の言われる「大きな力」とは、祖先から連綿と受け継がれる「いのち」のことだと考えます。
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Oさんは小学生のスイミングスクールで保護者会長を務められるほど活発な母親でした。毎週、小学生の息子さん二人を連れて来られ、プールサイドで子ども達の練習を見守っておられるポニーテールの髪が印象的です。スイミングスクールのコーチを務めていた私は、数メートル泳いでは母親の視線を確認している息子さん方に、「よそ見をするな!しっかり泳ぐんだ!」と檄を飛ばしたものでした。
保護者会とコーチ陣で設けたある酒席のことです。Oさんは私に「人は死んだらどうなるの」と真剣な眼差しで疑問を投げかけてこられました。私は酒席には相応しくない話題に少し驚きながら、しかし真面目にお答えしました。「私たちのいのちは【大いなるものに】なるんだよ」と。その夜の大きく目を見開いて話に聞き入るOさんの顔が忘れられない数ヶ月が過きる頃、突然彼女の訃報に接することとなりました。
Oさんの枕元に駆けつけた私に、旦那さんがぽつりとお話をされました。彼女は不治の病と戦っていたのです。力の続く限り在宅療養にがんばりました。遂に全身の痛みと体力の限界を覚って、自分から入院を申告します。入院の朝、いつも通りに子供達を学校に送り出し病床の人となりました。ベッドに付くと崩れるように体調が悪化し、薄れゆく意識の中でOさんは旦那さんに一つだけ言い残されました。「あなた・・私が死んだら、家の庭に木を植えてね。私は生まれ変わってもあなたや子供達を近くで見守っていたいの。私は大いなる命に生まれ変わるの。その木に私のいのちが宿るかも知れない。だから、お願いね」これが、Oさんの遺言になりました。彼女は入院二日目に亡くなられました。本当に家族と一緒に居たかった、そしてこれからも家族を見守って行きたい。そんな峻烈なOさんの心を思うと今でも涙が出ます。
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一人で生きていると思いがちな私たちですが、「大いなるものにいだかれあることを」 けさふく風のすずしさに改めて智(さと)らなくてはなりません。
Oさんのお宅に植えられたケヤキの木も、トパーズ色の風に吹かれて揺らいでいます。