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合掌

(出典:書き下ろし)

 お寺にお参りに来ると手を合わせます。法事やお葬式の時も手を合わせますね。仏教ではまず手を合わせる事から始まります。右手と左手を合わせるから「合掌」といいます。神社にお参りしても「かしわ手」といって合掌と形は少し遣いますが手を合わせます。また仏教や神道だけでは無く、キリスト教や様々な宗教でも手を合わせるという事からスタートします。では何故手を合わせるのでしょうか。
 右手と左手というのは同じ手でありながらそれぞれ役割があり、常に違った働きをしています。右手が箸を持てば左手はお茶碗を持ちます。右手がペンを持てば左手は紙を押さえます。また右手を私とすれば左手は相手となります。仏教では右手が私なら左手が仏様、神道では右手が私なら左手が神様となります。仏様と自分とが一つになり、神様と自分とが一つになります。
 ご飯をいただく時にもまず手を合わせますね。食事をいただく時には、食材の命と自分の命が一つになる。相手と自分とが一つになるというところから始まります。ひいてはこの世に生きるもの全ては姿形は違い、様々な役割があり、違った生き方をしていますが、決して別々のものではなく皆同じです。皆寸分変わらぬ同じ命を持って生まれて来ています。その同じ命が一つになるのです。草も木も、太陽もお星さまも、神様も仏様も皆自分と一つになるのです。そこにはなんの差別も隔たりもなく、喧嘩も、戦争もありません。それが合掌の心なのです。

  両手を合わせる、両手でにぎる、両手で支える、両手で受ける、両手の愛、
  両手の情、両手合わしたら喧嘩もできまい、両手に持ったらこわれもしまい、
  一切衆生を両手に抱け (坂村真民『両手の詩』)

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