法話

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……にもかかわらず

(出典:『法光』平成16年正月号)

 マザー・テレサが奉仕活動していたカルカッタの《死を待つ人々の家》では、人手も資金も乏しい中、薬ではもう助からないとわかっている人たちにこそ、優先的に与えられているという。何故ならそこに運ばれて来る人たちは、親から見捨てられ、人から差別されて、これまで人の愛というものを一度たりとも感じた事のない人たちであり、その彼らが死を目前にして、貴重な薬をもらった時、一様に「ありがとう」と言って、自らの人生を呪うのではなく、感謝で死んでいくからだという。
 昨今、世間では何事につけても合理化一辺倒で「最小の投資で最大の利益を」という資本主義の原理に則って、何よりも「有用性」という価値が最優先され、無駄は極力切り捨てられていく。
 しかし、そもそも人間とは自分の意志ではどうにもならない出生の理不尽さと例外のない死とに挟まれ、様々な無駄をいっぱい抱えこみながらも、なんとか生きていこうとする不合理な存在ではないのか。簡単に「こうすれば、ああなる」というものでもなかろう。
 禅語に「雪を(にな)って共に井を(うず)む」とあるが、人生には一見無駄な骨折りとわかっている「にもかかわらず」、「出来うる限りの努力をして、よしんば得るものがなくとも良し」と受け止めねばならない事のほうが多いのではないか。眼前の利害得失に振り回され、全てを「有用性」で判断するところからは、死にゆくものの心を救うために、敢えて貴重な薬を投与するなどとは、思いも寄らないだろう。

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