「臭木」
(出典:『花園』平成8年12月号)
妙心寺ご開山関山慧玄禅師は詩文を作らず語録も残しませんでした。しかし、その深い意味を示す数々の行跡が残されています。
慧玄禅師の聖胎長養※の地である岐阜県美濃加茂市伊深に妙心寺の奥の院と呼ばれる「正眼寺」があります。ここ正眼寺の開山忌のお斎には珍しい「常山」というご馳走がでます。
常山とは別名臭木(小臭木)ともいいユキノシタ科のアジサイに似た低木で、畔道や川べり、石垣の隙間にまで生えて生命力はとりわけ強く、根絶やしにしようと力んでもなかなか絶やせず、さらに名前の示す通り実に厭な悪臭のする厄介な代物です。
六月初旬に常山を枝ごと刈り取ってきます。葉をむしって茄で、茄でたものを水に入れて晒し、朝夕二回水を換え、臭気が抜けるまで三、四日続けます。梅雨の晴れ間を見極めて、一枚一枚葉を広げ一日で干しあげます。もし急な雨で一日で干し上がらなければ、元の水桶に戻して晴れの日を待ちます。必ず一日で干し上げるのが秘訣です。出来上がった常山はいつまでも保存でき、必要な時には水に数時間つけて戻し、油で妙めて大豆と一緒に煮ると、ようよう手間入りの悪臭の消えた珍味がいただけることとなります。
慧玄禅師は、貧しい村人からの施しを気遣い、嫌われものの臭木を敢えて集め、更にこの悪材料をおいしく食べるように工夫し活かされました。草木自然すべての生命を平等に尊ばれたのです。それは、材料の好し悪しを選り好みしないことのみにとどまらず、何ものをも優しく受け入れる正しい心のあり方をも諭しておられるのでしょう。「人間の持つ差別心に気付けよ!」との声無き声が聞こえてまいります。
伊深の人々は、正眼寺の雲水さんを「伊深のおっさま」と呼び、雲水さんはご開山様の時代そのままに黙々と臭木の束を背負い、この一菜と共に、ご開山関山慧玄禅師の枯淡な宗風を今になお脈々と受けついでいるのです。
今月十二日は慧玄禅師のお命日です。常山を食して、禅師のお徳を偲ぶ縁としたいものです。
※聖胎長養…お悟り後の更なるご修行