法話

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(出典:書き下ろし)

 死体の解剖を専門にされているお医者さんに、「体の中でどこにメスを入れるのが一番いやですか?」
という質問をしました。
きっと脳や内臓とか答えられるだろうと思っていたのですが以外にも、
「一番いやなのは手です。」
と答えられました。

 その理由は、手は人の心と心をつなげるところだから。
例えばいやなものや怖いものが近づくと手で押しのけます。
腹が立つと平手(パー)でたたきます。
もっと腹が立つと拳(グー)でたたきます。
かわいい子どもに会うと手で頭をなでます。
好きな人とは手をつなぎたいと思います。
手をつなぐとドキドキして、うれしい気分になったり、逆に不愉快になったりします。
手は自分の思いを送ることも人の気持ちを受けとることもできるところなのです。
だからそんな手にメスを入れるのはいやなのだそうです。
その医者は、
「死体を死体とは思っていない。一人の人だと思っている。」
とも言われました。

 禅宗では右手は行動の象徴、左手は抑制の象徴です。
坐禅の時必ず片手のひらの上にもう片手のひらをのせ、
禅定(こころの落ち着き)を表した形で坐ります。

 「しわとしわを合わせて しあわせ」という言葉で合掌を表しているコマーシャルがあります。
おさな子に合掌の意味を説くより「しわとしわを合わせて幸せ」という語呂の楽しさから手を合わせる子が少しでも増えればいいなと思います。

 合掌はインドで始まった礼式です。
右手は神聖な手、左手は不浄な手として使い分けていました。
その両手を合わせたところに人間の真実の姿があるということを表しています。
般若心経の「不垢不浄」というのもこの世界のことであります。
私は合唱は敬意(うやまう心)、感謝(ありがとうの心)、祈願(祈りの心)を表していると思います。
最後に、手にはいろんな働きのあるということを心にとどめて、次の言葉を味わってみてください。

  拝む手で そっとそろえる 他人(ひと)の下駄

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