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君は母の足を洗ったことがあるか

(出典:『花園』平成4年11月号)

 妙心寺開基、花園法皇は兄の後伏見上皇から皇太子、量仁親王の教育を命じられた。三十四歳のとき、皇太子に、『誡太子書』を与えている。「常に美しい着物を着て、その着物が如何にしてできたか、織ったり紡いだりした労苦を思われることもない。いつも御馳走に飽いて居て、未だ耕作の艱難を御存知ない。国の為めに嘗て少しの功もなく、人民に対しても僅かの恵みもない。ただ御先祖御歴代の御蔭によって、将来万乗の天位に上られようとするのである」実に厳しい言葉に圧倒される。同時に、法皇が如何に透徹した眼で自己を見つめてこられたか、察せられる。すなわち宗祖臨済禅師が衆生を喚起し自覚を迫った真の人間性"無位の真人"の深い洞察をこの戒めにみたからである。
 私たちは各々の因縁によって、会社社長、サラリーマン、教師、農民、デザイナー、弁護士、大工、医師、主婦、学生………様々な立場で生活している。しかしどんな立場も限りなく多くの人々のおかげによって支えられている。しかも自分も、そして支えてくれている人々もみな一人ひとりが掛け替えのない絶対的存在なのだ。この真実を軽んじると、自分の立場に執着したり甘えてしまい、私たちの魂の輝きはなくなり、活き活きしなくなる。
 ある青年が入社試験の面接で、社長から、「お母さんの足を洗ってこい」と言われた。帰宅してもなかなか言い出せない。思いきって縁側にけげんな面持の母を坐らせた。バケツの水につけようと、母の足に触れてハッとした。母の足は荒れていた。きっと僕たちのために苦労したからだ、と思わず涙がこぼれた。「母さん、長生きしてくれよ」とささやくのが精いっぱいであった。明くる朝、社長に心から礼を言うと社長は「わかってくれたか。この気持ちを忘れず頑張ってくれたまえ」と微笑したという。
 11月11日は報恩謝徳を訴え続けた法皇の命日である。この青年にとって母の足を洗った日が報恩記念日だ。

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