法皇忌
(出典:『花園』平成1年11月号)
11月11日は花園法皇のご命日です。貞和四年(1348)御年52歳で崩御されました。毎年この日を法皇忌として全国から沢山のご参詣を頂き厳粛にご法要が営まれます。花園会の花園も、この花園誌の名もみな法皇さまのおん名であり、又妙心寺の所在地の名でもありますが、よく考えてみれば私たちの心もまた美しい花の咲く花園でもあります。
法皇さまは第95代の天皇ですが、あの激動の戦乱の時代に12歳でみ位につかれ、ご在位十年で次の後醍醐天皇にゆずられた訳ですが、殊の外ご英遇であられたことは識者の斉しくみとめるところであります。法皇さまの日記を花園天皇宸記と申しますがそれを拝読いたしますと「朕、本より深く仏法に帰す」とか「凡そ予、幼少の時より深く仏法に帰す」というようなお言葉がみかけられます。学問に対するすぐれたご理解も拝されますが、とくに仏教、殊にお年を召されてからの禅に対する御研鑽、ご修行は他の追随をゆるさぬ底のものがありました。
火の中をわけてさへ聞く法の道
雨風雪はもののかずかは
このお歌にみられる炎の如き求道心はついに大徳寺ご開山大燈国師、更にそのお弟子である妙心寺ご開山無相大師、このお二方との出会いにより人生の大事を極められ、やがてその御願により妙心寺が開かれるにいたりました。
戦乱、混迷、人心ひとしく乱れ、対立の渦巻く激動の時代に生きられた法皇さまのみ心には、対立の二元を超えて真実のあり方をうちたてるには、真正の仏法の興隆以外にはないという鉄のような信念がおありになったにちがいありません。
今や、科学だとか宗教だとか、或いは物だとか心だとかいうような相対的な観念論だけでは解決することのできぬ時代になったと思われます。物も心も、その何れをも余さず捨てず大きくつつみこんでいけるのは、その物と心とがニツに分別される以前の純粋な人間性ともいうべき人間の本性、仏心しかないということを法皇さまはわたしたちに身をもってお示し下さったものと思います。