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授戒講

(出典:『花園』平成3年9月号)

 秋彼岸中日に、私の寺では授戒講という行事を営む。禅寺で「お授戒」を厳修するというのは、容易ならない難事業なのだが、私の寺では、ほぼ三十年に一度の割でこの法会が営まれて来た。大正十二年(一九二三)碧松軒関盧山老師、昭和二十七年(一九五二)嶺南室古川大航老師、昭和五十六年(一九八一)通仙洞山田無文老師、それぞれ時の妙心寺管長様を戒師にお迎えして厳修させて頂けた。
 前二回は先師の住職時代、殊に大正十二年は私の数え年五歳の時のことで、ちょいとした小さな印象の外、ほとんど記憶に残っていることもないが、最後の場合は自分が住職で、言わば本人坊であったのだから当然責任も負わねばならなかったし、正直、苦労もした。
 自慢で言う訳ではないが授戒準備で最も心をこめたのは、田舎寺の事で加行礼拝の対象として正面にかかげる三千佛の御軸がなかったので、自らの手で「三千佛の名号」を紺紙に金泥で書かして頂いたことで、それだけにかかりきりになるわけにはゆかないので、暇を見ては書きつづけた。表装ができ上るまでに半年の餘かかった。過・現・未三世の仏名を千仏ずつ、三幅の軸で、その箱書きを戒師様の無文老師に、更に添え書きを唱名師に屈請した前管長布鼓庵倉内松堂老師と、後に好縁を得て、前々管長瑞雲軒松山萬密老師とお三方にご染筆を頂き、何と歴代三管長の箱書きとなったわけで、中身はともかく箱白体が、かけがえのない寺の重宝となった。
 秋彼岸中日には彼岸法要の済んだあと、五十六年の授戒に参加した方々に案内状を送って、烏滸がましいことだが、私が仏名を拝唱させて頂き、参加者には懺悔の礼拝の半日の間、勤行して頂く。かなりきつい修練で、こりごりして参加者が減るのではないかという思惑は要らざる心配で、案内を出した戒徒の方々はもちろん、その授戒に参加できなかった檀信徒の中にも進んで、随喜したいという要望があって、十年の間には逝くなった方たちもかなりある筈なのに年々参加者が増えている状況である。「人はみな佛心をもっている」という佛教のテーゼがしみじみと納得できるのである。今年は十周年になる。

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