老いを敬う
(出典:『花園』平成3年9月号)
九月十五日は「敬老の日」です。私の師父は七十九歳にてなお住職として頑張ってくれています。私は別のお寺をお守りさせて戴き、無沙汰勝ちながらも、老親は黙って見守っていてくれます。親心とは有り難いものです。そんな中、せめて敬老の日だけはと家族揃っての奉仕の日にしています。両親希望の仕事を何でもさせて戴く報恩の一日、ささやかな懺悔をさせて頂きます。
ところで、老いは「生老病死」の四苦のひとつです。なのに、「老苦を敬いましょう」と国民の祝日にまでして頂いているのは何故でしょう。
『姥捨山』のお話があります。
ひとりの息子が、慣習に従い年老いた母を背負い山に捨てに行きます。その道すがら、背中で時々枝を折る音がします。「きっと母親は捨てられた後で自分が独りでも帰れるようにと、山を下りるときの為の目印に枝を折っているのに違いない」と考え、さらに奥に入り、やっとのことで老母を地に降ろしました。息子が別れの挨拶をしますと、老母は「お前が帰るとき、道に迷ってはいけないと思い、枝を折って目印を付けておいたから、それを頼りに下りるんだよ。今までありがとう」と手を合わせたのです…。息子は悪夢から覚め、再び母を背負って家に帰り親孝行を尽くしたというものです。
我が身を捨てる子の薄情を露も恨まずに、その子のために道しるべを付ける限りない母の慈愛が息子の心の迷いを打ち破りました。「老苦」によって、共に生きる喜びをいただくことができたのです。
家族は無論、社会がみなで支え合い生かされあっています。目先の見掛けや傍目に惑わされず、自分が尊敬されることより、まず相手を尊び敬うことを諭してこの日があります。老いも若きもお互いに尊重しあい、喜びをもって生きていきたいものです。
大きな慈しみ
大きな悲み
大きな喜び
大きな施し
これが仏の心です。 -涅槃経-