お盆
(出典:『花園』平成5年8月号)
八月は、西日本ではお盆の月で、そのころになりますと、あちらもこちらも急に仏教ムードに包まれます。ご本山でも万灯に灯がともされ精霊まつりが盛大に厳修されます。京都は十六日ともなりますと有名な大文字送り火の行事のため全国から大勢の人達が集います。
さて、お盆はお釈迦さまの十大弟子の一人、目連尊者が亡き母のため、大勢の修行者や迷界に沈むもの達へ供養をされたことに由来しています。
その供養について、十地経という古い経典には三種の供養が説かれています。
利供養…香華灯茶菓浄膳などを供え、また仏事を営み供養をすること。
敬供養…故人の徳を偲びまた讃え供養をする。
行供養…報恩のため写経や巡礼行、坐禅などの行を修し仏道を深めること。
普通は供養というと物を供えることや法要をすることと思われています。しかし追善供養というように、柴山全慶老師も「追善供養というが、文字どおりの意味に行われたいと心より願っています。一番良いご供養は、自分達が善事を行うことでなければならないと存じます」と述べられています。
それが敬供養であり、行供養ということです。茶道、剣道、俳句や諸々の芸道を修している方々は、その道の始祖や師匠や亡き道友の供養のため、追善の会をもち、遺作展などを催します。このように遺徳を讃え顕彰することもすばらしい供養ではありませんか。
禅家では祖師や師匠の法要には執恩の大接心を行います。自ら修行に励み、更に仏道を深めるよう努力することこそ、祖師方の願われていることで、そのお心に応えることこそ一番の供養であるはずです。
皆さまも亡き人やご先祖さまが一番望んでおられることは何であろうかと考えてみて下さい。おそらく、それは皆さまが真実の幸せに向われることで、信心を深め仏道にかなった生き方をより学び行じられることではないでしょうか。