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父あるもさいわいなり

(出典:『花園』平成1年6月号)

世に母あるはさいわいなり。父あるもまたさいわいなり -法句経332番-

 父の日が六月の第三日曜であることを知らない人が割合に多い。母の日にくらべて影がやや薄いようである。父母を縁としてこの世に生まれ出ることのできたこどもたちにとって、何かもう一つ父への思いがうすいようにすら思う。「父に非ざれば生ぜず、母に非ざれば育たず」と父母恩重経にもひとしくその恩が説かれている。
 戦後とくに一般的に親の権威が失墜したといわれ、中でも父権の低下はかなりのものである。
 これは何としても戦後の「家庭の変革」がもたらしたものであるに違いない。一方では核家族化と少子化(こどもを沢山産まない)がすすみ、過保護や過干渉に陥ったり、家庭の中で経験豊かな高年齢者による養育やしつけという生活上の知恵が伝えられにくくなってしまったことも要因の一つであろう。逆に高水準の教育が可能になったため、こども中心の家庭環境が出来あがってしまい、父親の座はいつの間にか隈の方に押しやられてしまった。更に、兄弟や地域のこどもたちとの間の異年齢間の遊びや切瑳琢磨の機会の減少で、幼少年期における感性や情操を育てる上でかなりな落差も生じてきた。 もっとも大事なことは、父親、母親の働く形態の変化によって、多くの人が職住分離のサラリーマン化によって、働く姿を通して勤労の尊さや厳しさを学ぶ機会が著しくなってきたところに青少年の生活意識やものの考え方が大きく変ってきたともいえる。女性の自立心の向上やめざましい職場進出も又大きな心的影響を与えていることは問違いなかろう。
 然し何といっても一家の柱であり、しあわせをもたらす根源であるのは父親ではないかという意識を自分自身に確立したい。そしてできるだけ多くこどもたちに接してゆきたいと願う。
 釈尊は臨終にあたり愛児ラーフラに「わたしはお前にとってよい父であったと思う。正しく生きる道を教えたから。お前はわたしにとってよい子であった。私の教えた通りに道を行じてきたから」とのことばをお互い父の日に想起したい。

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