更衣
(出典:『花園』昭和62年6月号)
おふくろの 足を洗って 心がかわる
六月と十月の一日に着衣、その他の調度などを改めることをいう。
俳句でも、初夏の季語として用いられ、何となく、軽やかな、さわやかな気持ちの転換が感じられる。先頃、こんな話を聞いた。
大学を卒業し、就職試験を受けたある青年が、その面接で、その会杜の社長に「一度でいいから親のからだを洗ってみろ」といわれ困惑する。
彼の父親は早く世を去り、彼は行商をする母親の手で育てられたが、今更、母親を裸にして洗うなどできそうもないがそれでは社長との約束が果せない。恩案したあげく、せめて足ぐらいならと意を決めて、物置からタライを出し、お湯を沸かし石鹸とスポンジを用意して母の帰りを待った。やがて帰宅した母親を無理矢理縁に腰かけさせ、足元にしゃがんで、履物を脱がせようと足元をみると、それは自分が中学生の時に使った古いみすぼらしいズックで、その下は、これも高校の時にはき古したつぎはぎの靴下であった。そしてその靴下の中からでてきた足は、あかぎれの跡のある固い、本当に思いもかけない程の小さな足であった。その足を洗っているうちに、やがてそれがボーとかすんでくる。「この足が自分をこれまで育ててくれたんだ」と思うと、涙がでてとまらない。とうとうがまんしきれずに母親の足の問に顔をうずめてワッーと泣き伏してしまった。この時の母子に何の言葉の必要もない。
やがて、再び会社を訪れた彼は「おふくろの足を洗って気持ちが変りました。たとえ採用されても私はこの会社には入りません。田舎でおふくろと行商をして暮らします。これも社長が親のからだを洗えといって下さったおかげです」と礼をいって帰りかけると「僕は君のような青年を探していたんだ。是非この会杜で働いてくれ」と社長に懇願されて今は母親と共に暮し乍ら、仕事にはげんでいるという話である。今どき珍しい、すがすがしい、心の更衣をしたような感動を覚えた話であった。
衣更え すめば母の忌 来たるなり