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幸福の持ち分

(出典:『花園』平成4年5月号)

 五月五日は子供の日、端午の節句である。かつて私の寺にも幼稚園があり、大きな鯉のぼりが、おすべり台に取りつけられたポールの一番高いところに、元気よく風の中を泳いでいた。そのさわやかな光景がはっきり目に浮かぶ。もうひとつ忘れられないことがある。それは幼い頃、父は怒ると、幼稚園の塀の向う側にある墓地の木に私を縛りつけたことだ。木の高いところに縛りつけられて足をブラブラする様は、なにかしら小さな鯉のぼりになった気分、といいたいところだが、いくら寺に生まれても、子ども心にもやっぱり墓地は気味が悪かった。それでも五月頃はよかった。一月ともなれば我慢できなかった。
 ともかく怒るとすぐ手が飛ぶ父が、ある日を境に全く変わった。小学校六年の頃のことだ。文房具を買うために貰った五十円を落としてしまった。父にお金を再び請求すると、ものすごい剣幕で、「何だと、五十円よこせだと、そのお金はお前が稼いだものか、とっとと探してこい」「誰か拾って、ありっこないよ」と言うと、「ぼさぼさしているな」、これ以上逆らうと、また木に縛られると思い、あわてて飛び出した。仕方なく探したけれど見つからず、時間をつぶして暗くなって帰ると、父が玄関で待っていた。そして、てっきり木に縛られると思ったら、部屋で正座させられ、意外にも静かな口調で、「今からわしの言うことは、お前にはまだわからんだろうが、よく聞きなさい。人間には幸福の持ち分がある。小さいときにあまり賛沢をすると、その幸福の持ち分が減って、年をとったときに必ず苦労することになる」と、話した。幸福の持ち分なんてよく分からなかった。しかし頭に、大好きだったカルピスの入ったコップが浮かんだ。さーっと飲めばすぐに無くなってしまう。自分の幸福の持ち分がカルピスみたいにどんどん滅っていったら、大変だと感じ、五十円を落としたことがひどく悪いことをしたように思った。これが、父から人生について教えてもらった最初の言葉であった。
 親は子供の知識指数や知能指数ばかり気にかけている。しかしもうひとつ、大事なことがある。人間の生き方の根本である倫理指数が忘れられているのではないだろうか。子供の日は、子供が健やかに成長することを願って制定されたものだが、当然、心の健やかさも含まれている。

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