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解脱か開放か

(出典:『花園』平成2年5月号)

 五月になると毎年、遠い昔の思い出が私の脳裡によみがえる。
 それは今から四十余年前、捕虜としてソ連に抑留され、強制労働に服していた頃のメーデーのことである。この日ばかりは捕虜も仕事は休みで、広場に集った地域の労働者と共に、赤旗を先頭に赤旗の歌、インターナショナルの歌等の労働歌を声高に歌いながら行進し、スターリン・ウラー(万才)を唱えた。その後長々と訳の解らないロシア語の演説が続き、収容所へ帰ると今度は通訳からまた、マルクスの思想、レーニンやスターリンの偉大さ等について、延々三時間にも及ぶ講議となる。全くウンザリしたものである。しかし、その国の現実は彼らのいう理想とは裏腹に、上下の差も歴然とあり、民衆は過度のノルマにさいなまされ、生活は劣悪で、加うるに秘密警察が網羅され言論の自由など思いもよらぬことであった。
 日ソ二回目のメーデーを迎えた。私に参加に気が進まず、一人宿舎に残っていた。みんながでて暫くすると、三人のソ連兵士が宿舎へきて銃をつきつけ、何やらロシア語でわめきながら、私を広場へと連行した。そこには日ソ合せて千人近い人びとが集っていた。私はその中央に設けられた台の上に立たされ、反動分子の名のもとに、四方八方からの怒号をあび、罵詈讒謗されたあげく、心にもない白己批判をさせられた。いわゆる「つるし上げ」である。結果その日から翌一日私の給食は停止され、その上一年帰国延期となった。
 共産党宣言が公刊されて今年で百四十二年、ロシア革命から七十三年になる。最近の共産圏諸国のありさまは世間周知の通り。
 釈尊世に出でましてより約二千五百年。その教法は衰えることなく多くの人びとの中に生き続けている。その差はどこにあるのであろう。彼らは「解放」を叫び、力で一方の体制から解放させるが、更に過酷な体制で民衆を雁字搦めにしている。これに対し仏教は、個人の「解脱」(自覚によって、自らの迷妄から脱脚すること)を説き、極めて寛容度が高く争いを好まない。イデオロギー学説と仏教を同列に考えるのはどうかと思うが、それにしても考えさせられる今日この頃である。

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