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新年の祈り

(出典:『南禅』平成12年1月号)

 あけましておめでとうございます。よき1年にしたいものです。さて、私たちは煩悩多きが故に迷いや苦しみにさいなまれ、貴重な人生を無駄にしてしまいそうな毎日です。このように思えば、日々好日であればと祈らずにはいられません。
 お寺でも新年、「旧年の過ちを悔い、今年はより正しく生活を送れますように」との純粋な願いによって、広く、国家安泰と仏法興隆、檀信徒各家の繁栄等を祈願する修正会を営みます。この時読まれるお経が大般若経です。「諸法は皆これ因縁より生ず、因緑より生ずるが故に自性(じしょう)なし、自性なきが故に去来なし、去来なきが故に所得なし、所得なきが故に畢竟(ひっきょう)空なり……」これはお経の説くところです。世の中のすべての現象や存在は因縁によって成り立っているというのです。
 よく観れば、私たちもお互いに(えにし)を与え合い、その恵みを受け入れて生きている存在です。それは即ち、ありがたくも自分が生かされているということであり、それに気づいた時、全てに感謝せずにはいられない心が生じてくるでしょう。その清浄な心で自分を観た時、悔い改めるべきは改めざるを得ない心が生じてくるのです。
 しかし、このような素直な心が自分のものになりきっていないうちは、諸々の(とら)われやこだわりを捨てきることはできません。思いきって心の垢をどっと吐き出し、からっと清浄な境地になった時、そこに祈りが(かな)えられる世界が現れてくるでしょう。清く澄んだ水には月は皎々(こうこう)と映りますが、不浄の濁水には現れません。縁を生かし、正しい目的に向って一所懸命精進し、それでも及ばないところを一心をこめて、誠を尽して祈っていく、そうした心の営みがそのまま日々好日、日々の心のやすらぎになっていくことでしょう。
 かけがえのない人生、今年も悔いなく明るく暮らしてまいりましょう。

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