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うかうかをやめ修正を

(出典:『花園』平成3年1月号)

元旦や またうかうかの始めかな

 まことに穿った句である。正月早々いやなこといって出鼻をくじくな、との声が聞こえそうだが、これは自分自身に対する警告である。
 毎年、今年こそはと、何がしかの抱負をもって出発するが、いつの間にやら惰性に流され、「君が行くなら僕も行く」式の生活に陥ってしまう。
 世の変遷は激しい。その波に翻弄されて、一年一年空しく過すことは、一生を空しくすることになる。これは「己がいのち」に対して申し訳ないことであり、勿体ないことである。
 正月の正の字は、「一」と「足」を組み合わせた字で、一は、決めた或いは定まった方向ないし位置を表し、足がその方向と位置に合っていれば、これは正しいという意味をもった字だそうである。従って、自分が熟慮のうえ決めたこと、また世の中で定まっていること等に向って、忠実に歩を進めなければ、ことの成就はあり得ない。これは生活上のことにしろ、修行上のことにしろ同じである。だから禅宗では、常に「脚下を看よ」と呼びかける。
 正月には各寺院で「修正会」という法要が行われる。これは年始に当って、世界の平和と国家の安泰と豊穣を祈願するもので、正月に修するから修正月会というのを略して修正会というのである。これを一般でいう「修正」と考えても間違いないように思われる。広辞苑には修正とは「よくないところを直して正しくすること」とでている。だから、年始において、今までの歩みを反省し、間違いを正すべく誓いを新たに今年の第一歩をふみだす。これが法要の主旨でなくてはならない。そうでないと、いくら平和を願い安泰を祈ってみても画餅に等しいことになってしまう。
 いま、国の内外をあげて憂慮にたえないことが多々ある。このときこそ、各国首脳や国民が、勇気をもって修正に当らねば、爪先はどんどん間違った方向に進み、取り返しのつかない悔いを残すことになる。これは個人とて同じである。
 今年こそ、うかうかしないで、しっかり脚下をみつめて歩み、悔いなき一年にしたいものである。

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