「大般若会」牛年に祈る
(出典:『花園』平成9年1月号)
仏教では、牛をとても大切にし、仏典でも牛に譬えた教えはよく出てきます。
廓庵禅師の作られた「十牛の図」は、私達が自分自身を発見し、真の智慧を発揮する過程を、牧童が牛を見つけて飼い慣らしていくことになぞらえて、十枚の絵と詩で表現した「禅のこころ」の入門書です。
牧童は、牛を求める旅に出ます。やがて、牛の足跡を発見し、さらに姿を見つけます。そして、手綱をつけることができましたが、これがとんだ暴れ牛。日々かわいがり、やっとの思いで牛を手なづけ、その背に乗って悠々と我が家に帰ります。帰って小屋に入れてしまえば、牛を忘れてしまい満足な自分のみです。そのうち、牛のことにも自分のことにもこだわりが消えていきます。雲行くがごとし、水流れるがごとしの心境です。ついに最後の場面で牧童は、天真爛漫な布袋和尚という、いかにも百姓親爺の風采で登場し自由自在に活動することになります。
お正月には、各々の菩提寺で「大般若会」(修正会)が厳修され、そのご回向では「人々の修行に慶びがあって、その道に障り無く、般若の智慧は益々輝いて、道を求める心は退かず……」と、ご祈祷を致します。
その折の大般若札の上隅には、以字点という四つの点が書かれます。これには一切のものの根源という意味があります。また、仁王様でも知られる阿と吽を表すともいわれます。即ち、この点は、「十牛の図」の牛に譬えられた「真の智慧」と理解できましょう。よって、このお札は、安易に災難を取り除き幸福をいただこうとするものではありません。自分の人生をどう認めていけるか、そのご縁を順境でもなければ逆境でもない、今のこの場でいただかねばならないものとして受け止めていこうとする智慧の働きを問いただすお札であるのです。生かされている中をいかに生きるかが、私達の智慧の行であり大般若会の意義でありましょう。牛年の初めにあたり改めて牧童となり、牛を尋ねて歩んでみようではありませんか。
身を思う身をば心ぞ苦しむる
あるに任せて有るぞあるべき 古歌