一滴一粒の恩
(出典:『花園』昭和62年11月号)
11月23日に、古来より「新嘗祭」としてその年の新穀を神に供え、天皇もそれを食される儀が宮中で行われたが、戦後、憲法改正に伴い、勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう祝日として定められた。
禅門では、勤労を「作務」という。これは働くことが、単に生活のためだけでなく、人間として当然作すべき務めをすることを意味する。
中国唐時代の高僧で、禅宗の日常生活のきまりである「百丈清規」を制定された百丈禅師は、老いてもなお、毎日鍬を執っての作務をやめられなかった方であった。高齢の師の身を案じた弟子達は幾度もおとめしたが聞き入れられず、やむなく、作務用具をひそかに隠してしまったが「それ以後禅師は部屋に入られたきり、食事をとられなかった。心配した弟子達がその理由をたずねると、禅師は「一日不作一日不食」(一日作さざれば、一日食らわず)と答えられたという。
これは「働かざるもの食うべからず」という、他を律する言ではなく、ほとけの願いを作し、務めること(仏作仏行)ができないから食べられないのだという、あくまでも生かされてゆく法界への報恩謝徳のいとなみ、自己を反省する脚下照顧の行を身をもって示されたのである。
禅の食事作法に「五観の偈」という食前に唱える五ヶ条文の第一に「功の多少を計り、彼の来処を量る」(この食物が食前に運ばれる迄には幾多の人々の労力と神仏の加護によることを思って感謝いたします)とある。水一滴飲むにも、米一粒食べるにも感謝の念を忘れてはならない。「一滴一粒の恩」である。一滴の水では少しも咽喉を潤してはくれないし、米一粒は少しも飢えの足しにはならない。だが、コップ一杯の水も、茶碗一杯の米も、初めは一滴の水であり、一粒の米である。
このことを忘れては人の命の深さも、人生の厳しさも決して理解することはできないであろう。
誰れもが要求することだけは知っていて、感謝する気持ちを忘れている人心殺伐の現代こそ、もっともこの感謝の心が必要な時ではないだろうか。