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現代人の忘れもの

(出典:書き下ろし)

 現代に生きる私たちは、物質的には大変便利で豊かな生活に恵まれております。家庭では大型テレビに冷蔵庫、エアコンに自家用車など、何一つ不自由ないと思えるほど沢山の物に囲まれております。しかしこのような環境にあって本当に心から満ち足りて幸せを感じておられる方がどれ程おられることでしょうか。 
 目を他に転じますと、政治の相次ぐ腐敗や経済不況、そして家庭崩壊や児童虐待の増加等々を各種報道で拝見しますと将来に対する何とも言えぬ不安や危機感を感じざるを得ません。このように物質的に豊かであっても肝心の「こころ」が忘れられている時代だからこそたった一度の人生、かけがえのない人生をいかに生きるかを今こそしっかりと見極めていく必要があるのではないでしょうか。
 さて法句経というお経に「おのれのこころを師とすべしおのれのこころをさしおき他に師を求めざれ おのれがこころを師となせば まことの知恵の法を得べし」とあります。この「おのれのこころを師とすべし」とは一体どういうことでしょうか。
 最近はパソコンや携帯電話が普及しておりますがお陰様で時間や場所を選ばずお互いにコミニュケーション出来ますので大変便利です。しかしその反面ややもしますと私達は直接人間同士が出会ってこころを向き合わせることを避けてしまいがちです。すべては、機械や電波を介してのおつきあいになってしまい、言葉では表せない顔の表情やしぐさなどが軽視されているのです。
 そのような現代に生きる私たちは「本来の自己」と、しっかり向き合っていくことが大切と思います。そして「本来の自己」とはなんでしょうか。仏教では、愚かな私を「自我」といいます。そして覚めている私を「自己」といいます。コーサラ国のパヒナディ大王のお后でありますマリカ夫人は、大王にこう言いました。「お釈迦様は【自我を捨てよ】といいますがどう考えても私には自分が一番可愛いとしか思えない」と。大王も「私もそう思う」といって二人は祇園精舎のお釈迦様の処へ質問に行きます。お釈迦様はいいました。「その通りだよ、マリカ」「人はどこに赴こうとも自分より愛しいものを見つけることはできない。それが分かったら人を大切にしなければならない」といいました。
 自分が可愛くて、自分に振り回されているときは、「自我」といいますが、その自分が見えたら「自己」になります。そして自己の根本とは「やさしさ」です。「真実のやさしさ」は、人の心を和ませます。ところがその想いがうまく相手に伝わらなくてがっかりすることがあります。しかしながらやさしさの根本は己をむなしくすることにあります。自分の利益や見返りを期待しない心持ちが真実のやさしさです。このやさしさを「慈悲心」と申します。
 現代に生きる私たちは物の豊かさとは裏腹に心の豊かさに飢えながらも人間として本当の生き方を模索しているといえるのではないでしょうか。そして真の心の豊かさとは、自分を虚しくして多くの人々に真実のやさしさ・いわゆる慈悲心で奉仕していく生き方ではないかと私は考えます。今一度、豊かな生活の中で私たちは人間として生かされている命の尊さを自覚して参りたいものです。

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