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「余慶」

(出典:『花園』平成9年9月号)

 ことわざに「積善の家には必ず余慶あり」とあります。先祖の善行のおかげが子孫に及ぶことを余慶といいます。
 九月九日は重陽の節句(元は陰暦)です。
 菊酒を酌み、栗ご飯を食べ、菊に着綿する習慣は、江戸時代に五節句の一つとして、最も盛んになりました。長命を得て、災厄をのがれると中国六朝時代から言い伝えられています。
 菊は、古来不老長寿の霊薬として大切にされ、中国では黄色が重んじられ、日本では、白菊が正式な菊とされました。
 清楚な菊をお供えするお彼岸も、涼風に心が洗われる九月の行事です。
 ご先祖さまが、残してくださった習慣に感謝します。
 私たちも、何かより良いものを残せないかと考えてしまいます。
 むかし、インドに演若達多という人がいました。ある朝、鏡に顔が写らないので、妖怪に首をとられたと勘違いして、あわてて首を探して街を走りました。首があるから探し回れるのにと他人に注意されて、やっと気づき安心したといいます。鏡の裏側を見て早合点して、一番大切なことを見失った例話です。
 心は、すべてをありのままに写す大きな丸い鏡にたとえられます。正しい使い方を誤りがちな私たちにとって、厳しい指摘です。
 臨済禅師は、優しく説いてくださいます。

汝祇一箇の父母あり、更に何物をか求めん
汝自ら返照して看よ
求心歇む処即ち無事

――心の中に父母(ご先祖さま)がいてくださることがわかる。それ以上何をお求めですか。心を見つめなさい。探し求める心が静まることが幸せなのです。

 菩提寺とお墓にお参りして、仏さまに生かされている悦びに浸れることは、「余慶」です。
 秋晴れの澄みきった空のような心に帰れる彼岸の習慣は、そのまま子孫や後継者への最高の贈り物となりましょう。
※五節句(人日・一月七日、上巳・三月三日、端午・五月五日、七夕・七月七日、重陽・九月九日)
(参照)首楞厳経、臨済録、平凡社百科事典

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